国際人権規約 (社会権規約) と日本

2001 年 11 月 10 日 (土)

講演者: 武村二三夫 (弁護士)


はじめに

どうもお久しぶりです。こういう会で発言させていただいて、大変感謝しております。

先ほど、同時多発テロの問題が出ていますけども、言うなればテロ規正法ですね、外国人を令状無しで逮捕するとか、盗聴を非常に拡大するだとかいうアメリカの立法が出てきているときに、アメリカの自由人権協会の弁護士が出てきて、テレビの討論番組で反対の発言をしたりというのを見ていますと、やはり自由人権協会というのはそういう世界的な組織なんだなと実感いたしました。

また、アメリカが一番そうですし、日本でも、先ほど弘中さんの話にもあったように、今まで守ってきた人権といったものが一遍に吹き飛んでしまったと。また、いつこの人権というものを軸に大きな議論ができるかどうか、やはり個人の権利を重視する観点から、声を挙げ続ける組織が、集団がやっぱり必要だと。その中で、やはり自由人権協会というのは非常に大きな存在じゃないかなと思っております。そのほかにもいろんな団体があるんですが、その声が今残念ながらかき消されているような雰囲気になっておりますけども、少数派のようですけども、ぜひこの声を挙げていかなければいけない状況じゃないかと思っております。

さて、きょうのテーマですが、熊野先生と私ということで1時間ずつちょうだいしたということなんですが、熊野先生はもう何と言っても居住権だとおっしゃいますので、私の方が全般的な状況を、必ずしも権利の中身にかかわらず、どういう手続でどういう進行をしていたんだという全体的な方の説明をさせていただいたあと、熊野先生にその居住権の問題を中心にお願いしようと思っております。

国内実施のための 3 方策 ―― 個人通報、地域人権保障機構、国内人権機関

それで、どこら辺から始めたらいいのかなと思っているんですが、私のレジュメに沿っていきますが、序論だとか国際人権保障の諸条約の制定というところは、今までの講演会の流れからすると余り必要ではないのかなということで飛ばさせていただきます。

1 〜 3 も常識だということになるかもしれませんが、一応基本的には加盟国に実施義務を負わしている。立法その他のというのは、社会権規約の条文を引っ張ってきているんですが、一応こういう言葉は共通でして、立法、それから行政措置を中心にしてやるようになっている。同時に、司法の場でも適用するようにするんだということで、自動執行力とか自力執行力というふうな議論がなされている。だから、加盟国の 3 権において直接にこれを実施させるということを意図してやってきたわけなんです。この国際人権のとりくみは、48 年の世界人権宣言から始まって、その後具体化していく中で 60 年ぐらいに国連はちょっと振り返ったと思うんですね。どんどん条約はできているけれども、実際にはなかなか加盟国で実施できていないということで、実施措置の見直しをしました。もともと政府報告書の審査、これが実はきょうの社会権規約のテーマなんですが、加入して何年以内、あとその定期報告書ということで、5 年なら 5 年ごとにその実施状況について政府に報告させ、それを審議すると、それを踏まえて勧告等を出していくということで、実施の具体化をせまるという政府報告書の審査の制度は大体どの人権条約でも採用しているようなんですけれども、それだけでは極めて不十分だということで、60 年代から 3 つぐらいのことをさらに重点を置くようになりました。

1 つは、個人通報制度です。これは 66 年ですから自由権規約のときに選択議定書で入れたのが始まりかどうかはちょっとわかりません。言うなれば、これも御承知のように裁判と同じようにと言うと語弊があるかもしれませんが、被害を受けた者が申告すれば条約機関で権利侵害があったかどうかを判断する。判断するだけではなくて、それに基づいて政府に改善を迫る。その結果を待つというふうな、個人通報制度をやっぱり入れなきゃいけないんだと。これは世界レベルの話なんですけども、これが 1 つ出てきた。

もう一つは、地域人権保障機構をやっぱり充実させなきゃいけない。ヨーロッパの人権保障機構は古くからあるわけですが、米州、それからアフリカというふうにできてくるわけですけども、例えばアジアがない、中近東がないといったところで、ある程度地域ごとに状況は変わってくるから、そういった地域人権保障機構をつくって固めていく。

それから、3 番目に国内人権機関。これは、ナショナル・ヒューマン・インスティテューションで国内と訳していますけど、国家機関なんですね。政府機関でやらせてもなかなかだめだから、政府機関とは別の政府から独立した機関をつくるんだけれども、やはりそれも国家機関なんですね。二律背反のようなんですけども、完全な民間団体ではだめだという判断をしたんだと思いますけども、政府から一定独立性を持った国内機関か人権救済、教育、それから政策提言する。個人通報制度、地域人権保障機構、そして国内人権機関という 3 層構造を持って、さらに条約の実施を担保していこうということが大体 60 年代からやってきているわけです。

個人通報制と言うならば、これは世界レベルというか、上部機関で判断するという世界レベル。地域人権保障機構というのは、地域レベル。国内人権機関が、各国内でというふうな 3 層においてそれぞれ移行実施を迫っていったと。

日本について言うならば、弁護士会がずっと取り組んできたこの個人通報制度はまだ実現を見ていない。地域人権保障機構というのは、ほかの動きは余りよく知らないんですが、日弁連ではアジア弁護士会会長会議というのがずっとありまして、1992 年シンガポールでやったときにかなりそれに向けて取り組んだんですけども、中国とか非常に微妙な動きがありましたので、ちょっとその動きはとまっているということで、なかなか具体化ができない。アジアについては、言語も、宗教も、経済の発展段階も、政治体制もみんな違うということで、一番難しいだろうというふうに言われている状況です。ちょっと手つかずといいますか、進行しないような状況になっております。

国内人権機関、これは昨今御承知のとおりだと思いますけども、人権擁護推進審議会の方で、最初はパリ原則にのっとったものとは全然違う方向にいっていたんじゃないかと思うんですが、大分修正した提言がなされましたけども、政府機関は独立性だとかいった問題で、かなりまだ大きな問題を抱えておりますし、それからメディアをめぐってどうするんだということで、弁護士会の中でも非常に大きな議論が生じておりますし、自由人権協会の小委員会でも意見書を出されました。それぞれが大きな問題になっているわけです。

社会権規約で言うならば、一応政府報告書審査という実施措置だけが実現しておりまして、個人通報制度というのは今これに向けてのドラフト作成中というレベルにあります。後で申し上げると思いますが、今回の委員会の勧告の中で、国内人権機関をやはりつくれということを自由権規約の勧告に引き続いてこちらでも言われました。社会権規約委員会は、国内人権機関は社会権規約違反の人権侵害についても扱えるんだということを言っているわけであります。この点からしても、現在の審議会をつくっている国内人権機関の射程というのは非常に狭いということが批判できると思います。

社会権規約の批准、留保と解釈宣言

国際人権規約については、A 規約、B 規約という言い方がかつて一般的だったそうですが、国際的には全く通用しませんので、社会権規約、自由権規約という言葉を使うように我々提唱しております。それでいきたいと思います。

結局、この二つの人権規約は 66 年に採択されまして、77 年に、これ 35 カ国ですかね、そろって発効しました。発効したのを見て、あわてて日本は 78 年ぐらいに批准して 79 年に発効したというふうにどたばたやったような経過があります。社会権規約の内容、きょうはとても具体的に中身に触れられませんが、恐らく一度ごらんになっているかもしれませんが労働、家族、それから食糧、衣類、居住を内容とする生活水準、健康、教育、それから文化的生活に参加するとか科学進歩を利用し利益を享受すると。科学的、文学的、美術的作品から生じる精神的、物質的利益の保護ということで、なかなかちょっとなじみにくいようなところもあるんですが、そういったものが権利ないし保護の内容として挙げられております。

ちなみに、公の休日についての報酬について、日本はいまだに留保しておりまして、これも今回審議で批判されています。日本がやらないでどうするんだと。そしたら、これはまだ世論の支持が得られないと日本政府が回答したところ、法規違反の問題は、世論の支持と関係ないと、また批判されているというふうな状態であります。

それから同盟罷業、それから中等高等教育の無償教育の漸進的導入。日本のような発達した国では、後期中等教育=高校ですね、この無償教育は当然もう実現していていいんじゃないかと。審議では日本ではもう進学率は 90 何%になっているから、無償化の必要はないと政府は回答するのですが、進学できていない人間がいるんだろうと、なぜやれないんだということで、これ委員会の審議で批判されております。この留保を、もうずっと検討中というと答弁すると、一体何年かかっているんだと批判されております。

解釈宣言につきましては、例の消防職員が警察の構成員に入っているとしています。

社会権規約委員会

社会権規約委員会というのは、実は条約で設定された委員会じゃないんです。これは、条文見ていただいたらおわかりになると思いますけども、その審査の報告書は、経済社会理事会に出せという話になっているんです。その経済社会理事会の中に作業部会を設けてやっていたんですが、85 年にこの経社理決議がありまして、社会権規約委員会というのを設置して、そこでやるようになってきたという経過があります。18 名の委員がいますが、個人の資格であり国家代表でない。これは自由権規約委員会と同じことです。

裁判規範性と裁判例

そこで、社会権規約についてもいろんな課題があるわけですけれども、やっぱり裁判規範性、つまり裁判で条文が使えるかどうかというところが、非常に大きな争点の 1 つだろうと思います。

裁判所の態度、これも詳しく出しませんでしたけれども、日弁連レポートはお持ちでしょうか。日弁連に言えば、まだ無償でくれると思います。これに初めてといわれてるんですが、日弁連レポートでは社会権規約の国内栽判例を全部網羅しました。我々が入手できたのは 26 なんですけれども、1 つを除いてことごとく負けています。その 1 つというのは 83 年の高裁ですから、79 年に実施されたから 5 年後ぐらいですね。例の法学セミナーの説明書でしたか、まだ我々も細かい注釈書もないような段階だったんですが、ぽんとこれだけ認められまして、あとは全然これに引き続くものがないというふうなことでして、判例の流れからするとほとんど重視されていないものが 1 つあるだけでして、それ以外はことごとく負けたということです。したがいまして、裁判ではやってもやってもだめだというふうな状況ができております。なぜかという話は、結局その社会権規約 2 条 1 項に「権利の完全な実現を漸進的に達成する」という語句があるものですから、将来の目標ですよと、直ちに実現しなくてもいいんですよと解釈されてきた。言うならば、自由権規約が直ちに実施する第一の権利ならば、社会権規約は二流の権利みたいな紹介をされているという言い方をされている人もいます。

即時的効果

これをどうやって打ち破るのかというのを見ていきますと、ジェネラルコメントの中で、かなり努力がなされております。まず一般的意見 3 の中で、その即時的効果を持つ義務があるんだということを言っている。

これは漸進的達成ということを対比して、そうなれば即時的効果があればいいんだろうというふうな考え方があったんだろうと思いますけれども、差別条項、差別なく行使されるということが、これは即時なんだと。この考え方は後でもずっと生きてきます。それから加盟国が措置をとる義務。結果を達成できなくても、努力はしなければいけない、これは即時的効果を持つということを、まず最初に言っております。

一般的意見の 3 で、やはり今度は司法的救済が可能と思われる規定があるというふうなことで列挙しています。ほとんどが無差別条項、差別禁止条項です。2 条 2 項の一般的な無差別享受、男女平等、同一労働同一賃金、団結権など。それから、次の分野は年少者に対する保護援助措置、それから初等教育の無償義務、義務無償。それから、私立学校の最低限度の教育上の基準。だから社会権の中でも、一定の程度の水準のものは即時達成されるべきであり、司法的判断が可能なんだという考え方が既に出てきております。

あと、私的教育機関の自由、科学研究創作活動の自由、ここはむしろ権利の性質からすれば自由権ですね。自由権的なものについても、やはり司法的判断が可能なんだとしている。まとめていえば差別条項の問題と、それから社会権の中でも一定のレベルのもの、それから自由権的なもの、そういうふうに分けることができるかもしれませんが、こういったものについては可能なんだということを言っています。

最低限の中核的義務

やはり一般的意見の 3 の中ですけれども、最低限の中核的義務といっています。ミニマム・コア・オブリケーションズといういうことでしょう。達成は目標としては非常にいろいろあるんだけれども、少なくとも最低限度のものについては直ちに達成しなければいけない。少なくともそれは司法的判断が可能なんだと。最低限の不可欠なレベルの充足を確保するということがいわれております。

尊重義務、保護義務、充足義務

さらに、一般意見 13 から 14 にかけていきますと、権利の中身を 3 層に分けた論理的な考察をしております。ちょっとわかりにくい面もあるんですが、尊重義務、保護義務、充足義務というふうに分けております。この点は、あとでまた熊野先生も触れられるんじゃないかと思うんですが、尊重義務というのは、私なりの理解では、一定社会的権利を享受している。そのものを、それを害さない権利、だからある意味で自由権的な構成をしたものだという理解を私はしております。個人の権利の享受を直接、間接に妨害しない義務。それから、差別禁止条項をこの尊重義務の中に入れる考え方もあります。これは単なる自由的構成でいいかどうかちょっとわからなくなりますが、論理的には一貫しなくなるかもしれませんが、そういった考え方があります。

それから保護義務、これは民民の私人間の権利の妨害について国家が保護する義務という理解です。

それから 3 番目の充足義務、これは残った義務といいますか、国家が個人に対して、人民に対して給付をする、あるいは目標を達成するためにそれを満たしていくものです。以上国家の義務を 3 層に区分しまして、この第 1 の尊重義務と第 2 の保護義務は司法判断可能であるとしています。保護義務なんかも、すべてがすべて司法判断可能なのかどうなのかちょっと論理的にはよくわからない面がありますけれども、そういった 3 層に区分した上で司法判断が可能な部分があるんだという努力をされております。

裁判所の説得に向けて

結局こういったゼネラルコメントで展開されている司法判断可能性の解釈の努力も使いながら我々がどうやって裁判所を説得していくのかということになるわけです。一応ゼネラルコメントが今までのところ 14 出ております。その中で先ほど言いましたように、3 とか 13、14 については、司法的判断が可能だということを、繰り返し繰り返し解釈論として努力をされているようです。

レジュメではジェネラルコメントの文書案ということで長ったらしいのを書きましたけれども、国連のデータベースからこれで取れるということです。ジェネラルコメントの和訳は、この申ヘボンさんの青山法学論集掲載の論文、これたしか途中までしかないんですね。あと、NGO が出したのがあるんです。ところが、著作権があるからなんて書かれているので、うかつにばらまけないんですが、一応 14 まで和訳としてもそれも含めてそろっております。必要でしたらお渡しできると思います。

さっき言いましたように、こういったものをどうやって裁判所に対してぶつけていくかが、私達弁護士に課せられた課題だと思います。私の理解では、これは条約法に関するウィーン条約第 3 部第 3 節の「条約の解釈」の解釈の補足手段などを使いながら、こういったジェネラルコメントというものを生かしていくのが我々の実務だろうなと思っていました。しかし昨年の国際人権法学会総会の議論を聞いていますと、ちょっと私は違和感を感じたんですけども、憲法 98 条 2 項、そちらの「誠実に遵守する」という語句の解釈論の中に手がかりを探していこうという議論をされておりました。もうこれは、既に国際人権法学会の学会報に出ておりますから、御参照いただいたらと思います。私は正直言って、ちょっとこの議論がわかりません。あの議論とウィーン条約に基づく議論がどう関連するのかなということもよくわかっておりません。私もあのとき報告した内容が学会報にのっていますが、一人だけ全然関係ないことを言っているというふうに、孤立感を味わっております。ですから 2 つアプローチがあって、ウィーン条約に基づくアプローチと、それから 98 条 2 項に基づくアプローチがあるということを、一応ここでは御紹介するにとどめておきます。

今回の審査までの経過

今回の審査の経過をちょっと細かくレジュメで書きました。これはなぜこんなことを書いたかと言いますと、ひょっとしたらこの中におられる方は、社会権規約委員会の次回の審査に乗り込んでみようということをお考えになる方もいるかもしれない。そうすると、その今回の経過を追っかけていくことは御参考になるんじゃないかと思いました。

第 1 回日本政府報告書審査は、これは昔の話で、今と制度が違って経済社会理事会の作業部会が担当し、しかも 3 回にわけて報告書が提出され、1986 年に審査されました。そのときは、NGO も何も絡んでいませんので、実質的にはほとんど進んでいない。今回が第 2 回でありますけど実質的には第 1 回の審査だと言われております。

これも全然なぜかわかりませんが、第 2 回日本政府報告書の提出期限が 92 年 6 月 30 日で、出されたのが 98 年 8 月 28 日。審査されたのが 2001 年 8 月と、めちゃくちゃ遅いんですね。これは、政府が手を抜いたこともあるかもしれませんし、社会権規約委員会の審査が全体として大分時間をとっているような印象も受けております。

ここで、社会権規約委員会の 1 つの特徴は、政府報告書を出してきたら直ちにそれに基づいて審査するというシステムはとっていないということなんです。リスト・オブ・イッシュー、質問事項をつくりまして、政府報告書を踏まえまして質問事項をつくると。それについて、さらに政府に答えさせると。その上で審査をするんだという制度をつくっております。2000 年の 5 月、委員会の期前作業部会でリスト・オブ・イッシューをつくりました。これ 38 項目でしたかね。その右の文書番号ですか、これでデータベースで検索できると思います。

NGO で参加しようとするならば、このリスト・オブ・イッシューをつくる前に質問事項案をつくって提出することが第 1 の作業です。日弁連は、2000 年 3 月の段階で質問事項案をつくり、出しました。かなりリードしたという自覚を持っております。

しかも、この期前作業部会については NGO は書面を持って行けますし、参加もできますし、発言もできます。各 NGO、あのとき日本は 3 団体か 4 団体、来ました。ですから、その段階から発言していく、印象づけておく。我々がプラスだったのは、そのときから事務局の人と仲よくなりまして、あと事務上どういう手続をしたらいいのかということをずっと情報をもらいながら進めていったということであります。

ですから、参加されると考えられる方はまずこのリスト・オブ・イッシューの作成時期はいつなのかということを目標に、これに対してどうやって働きかけをするかということをお考えいただいたらいいと思います。このリスト・オブ・イッシューで僕らはびっくりすることが出てきました。1 つは慰安婦問題です。私は慰安婦訴訟もやっていますが、79 年社会権規約発効ですから、慰安婦の問題は 45 年までの問題のため、とてもじゃないけど時間的な問題で審査ではとりあげないと思い込んでいたんですね。そしたら、理論的な問題はよくわかりませんが委員会が質問事項の中で慰安婦問題をいれてきました。この考え方は、やはり典型的な男女差別の問題であると。そのダメージを受けた女性を戦後もそのままの状態で放置して、みじめな生活状況のままに置いておいたこと自体、けしからんという考え方が背後にはあるように伺いました。ちなみに、日弁連の意見書には慰安婦問題がありませんでしたが、あわててこれを見て追加したという失態を演じております。

それから少数民族のギリヤーク・オロッコの問題もリスト、オブ、イッシューで出て来ました。皆さん御存じですか。原文ではウィルタとニブヒと表現されていました。こういう少数民族の問題はどうだと問われて、当時ジュネーブにいた人間が全然わからなくて、あわててインターネットで日本に SOS を出しまして、問い合わせをしてきました。日本でも、ほとんど資料が入手できませんでした。要するに、樺太が戦後日本の領土から離脱したときに、樺太の住民で日本に協力した人たちが北海道へ引き上げてきたんですね。その中に、アイヌ以外にギリヤークやオロッコという人たちがせいぜい 1,000 人ぐらいだったか、いたようです。

でもその人達は戦後の状況については、文学なんかで結構ある時期まで記録が残っているんですけれども、今その民族性を主張される方々は、実際にはもう残っておられない。この少数民族の問題をどこで聞いてきたか、委員の方から出してきました。ちなみに、このギリヤーク・オロッコはサハリンに残っているのですがロシア側の資料でももう前世紀、20 世紀中には恐らく絶えるんではないかというぐらいの報告が出ているような状況のようですが、こんな問題が委員の方から出てきたということです。

さてリスト・オブ・イッシュー (質問事項) が出ましたので、それでそれを念頭においてカウンターレポートを各 NGO がつくりました。ちなみに、2 つの NGO のカウンターレポートはインターネットの国連のデータベースの中に保存されております。びっくりしました。市民外交と反差別国際運動ですが、ちゃんとつくれば記録で残るんですね。

質問事項に対する回答が非常に日本政府は遅かったですね。これが出されたのが、2001 年 7 月 26 日です。本当は、NGO の働きかけとしましては政府報告書を作成する段階で協力してやると、あるいは NGO の意見を聞けというふうに政府に働きかけをしなきゃいけないし、リスト・オブ・イッシューができてきたらそれに対する回答についても NGO の意見を聞きながら一緒につくるという働きかけをすべきなんだろうと思います、理想的には。しかしながら今回はというんでしょうかね、しばしば政府報告書が国連に出たと、国連に出てからやっと NGO が入手するというようなことをやっていましたけども、今回も 7 月 26 日に出たのを我々たしか 8 月になってから現地で入手した、というふうなことでした。

今回の、いわゆる事前の活動としましては、今回 6 カ国ぐらいまとめて審査をやったんですけれども、日本の担当委員はアイベ・リーデルというドイツの学者なんですね。この方を日本にお呼びしまして、大阪、それからきょうは戸塚先生おいでではないですが、戸塚先生が中心になった神戸で、それから東京日弁連でというふうに講演会を持ちました。それからアイベ・リーデルさんには、大阪では釜ヶ崎、神戸では被災地をずっと見ていただきました。さらにアイベさんの提案だったと思うんですけれども、NGO と日本政府、外務省との懇談会を東京で持ちました。

実は、バージニア・ダンダンという社会権規約委員会の委員長を呼ぼうと考えていたんですが、彼女はびびっちゃったんですね。僕らは個人的にはあの人に的を絞ったのは、フィリピンの従軍慰安婦訴訟をやっているものですから、あの人はフィリピン人なんですね。5 月の期前部会のとき接触できたんで、その人を呼びたかったんですが、委員長という役職の方が NGO だけの側で動くということは公平性を欠くように見られるということで、ダンダン委員長は来なかったようです。それでかわってアイベ・リーデルさんが来られたんだけども、アイベ・リーデルさんはそういうふうな政府と NGO との懇談会を取りもつとかいうふうなことは、やっぱり公平性についてもかなり配慮されておられました。実際は、こういった講演会を持ち、あるいはそのあとの懇談会で一生懸命みんなロビングをやったわけでして、大阪でやったときもかなりウトロとかたくさんの NGO が来られて個別の質問を出し、あるいは文書を提出して理解を求めておられました。NGO が余りあちこち引っ張りまわそうとしたので、大変ちょっと日程が忙しくなったようなこともあります。

我々日弁連は、カウンターレポートを 2001 年 3 月に出したわけですが、さらにその後ということでどんどん時間がたっておりますので、追加報告なども出しております。ちなみに、去年の 5 月からことしの 8 月で大分時間があるんですが、去年の 5 月で作業部会をやったときには、去年の 11 月ぐらいに審査するだろうという話だったんですね。それがずっと伸びていったということで、リスト・オブ・イッシューから審査までこんなにあくんだということで次考えてもらったら困ると思うんです。

さて 2001 年 8 月 21 日に午前と午後、3 時間、3 時間で 6 時間を使って政府報告書の審査があったわけです。これは自由権規約に比べて、ちょっと短いというふうな御指摘をいただきましたが、私自由権規約のことはよく知りません。

委員会への NGO の働きかけの機会としては、さらに 2 つありました。1 つは 8 月 13 日の社会権規約委員会が開催した NGO ヒヤリングというものがありました。これは社会権規約委員会が午後を全部あけまして、6 カ国でしたか審査対象国の NGO についてヒヤリングの機会を持ったということです。これはほかの国の NGO は余り来てないです。日本ぐらいですね、 60 人も行ったのは。ほとんど来ない国もありました。日本はたしか 2 時間ぐらい割り当てをしてもらいまして、一団体 8 分か 10 分かということで、それぞれ発言をいたしました。大変厳しく、タイムキーパーを置きまして、時間を守るということでやったんです。自由権規約のときの経験を踏まえまして、NGO が内部でお互いに事前に調整するということを大分きっちりできたんで、そこら辺、割合うまくいったんではないかと思っております。このとき、熊野先生も報告されたんですが、私の実感としましては文書をつくることは助けてもらえばできるかもしれない、あるいは読むこともできるかもしれない。しかしこちらの発言に対して、すぐ委員から質問が来るんです。これに対して英語ですぐに回答しなければいけない。質問の 1 つはなるほどと思ったのは、けしからん、けしからんはいいと、わかった。じゃ、何をしろと言うんだと。住宅を何戸建てろというのかと、お金だったら幾ら出せというのか、そういう具体的な要求がある方がわかりやすいというふうに切り返されました。まだ幾つかありましたけれども、これを英語で聞いてくるときに我々は、この中に菅先生みたいに例外の方を除きまして、英語で議論するという訓練が全然ないものですから、もうおたつきましたね。熊野先生は直ちにそこで、また即答されていましたけれども、あれもやっぱりそういうこともこういう場に出て行くとしたら考えなければいけませんね。私も一応スピーチはしたんだけど質問されたらどうしようかと、そもそも質問がわからないんじゃないかというふうなことでひやひやしました。英語で議論し即答するという訓練が必要だなと痛感いたしました。

NGO の働きかけの機会の 2 つ目は 8 月 20 日ですけとれども、今度は NGO 主催のランチ・ブリーフィング、要するに昼食の時間帯に委員をお招きして、そのときにまた説得するということなんですが、だから主催は NGO なんだけど実際の会場は委員会がいつも使用するパレーウィルソンの会議室を使ってあるわけで、午後 1 時からずっとまた同じように延々としゃべっているわけです。これも時間割りして NGO で分担したわけです。この NGO ヒアリングとランチ・ブリーヒィングの 2 回の使い分けがあるわけで、それぞれどう位置づけでやるのかということで、我々内部で議論しまして、前者の方、NGO ヒヤリングの方は我々持ってる問題の点、言いたい要点、内容を訴えかけていくと。あとの方、ランチ・ブリーフィングの方はでは出されるべき勧告の内容はこうあるべきだと分けたらどうだろうかということで、我々は区別いたしました。ちなみに、日弁連の方は総論、解釈論、裁判規範としての適用等にかなり議論を絞ったスピーチをいたしました。

それで、21 日に審査があるんですが、この資料は皆さんお持ちではないですか。インターネットされる方は、前田朗さんという東京芸術大学の方がずっとメールを送って来られているんですね。あの人はサブコミッティーの方も社会権規約委員会の方もどっちも審議の状況を日本語で即座に送っています。あれは結構わかりやすくて、いい資料でした。

それから、NGO は今、本の出版の企画をしております。ただ余り具体化はしていないみたいですが、審議のやりとりについては英語の発言のテープから起こした全訳を出そうとしていますが、出るとしてもこれ多分来年ですね。なかなかおもしろいです。英文の要約、サマリーレコードがもう既に国連のデータベースに入っております。

ここに書いてきているんですが、これは審査の経過ということで 3 枚目の 5 ですけれけども、この E/C の 42 と 43 のミーティングということで午前と午後、もう既に入っております。要約ではあるけれども、かなり詳しいもので前田さんの聞きながらパソコンで打った資料よりもまだ内容的には詳しい部分もあります。ですから、実際の雰囲気はこれを御参照いただいたらいいと思います。日本語訳は大分先、前田さんの分以外は大分先になると思いますけど。

これをその日の雰囲気をどう伝えるかというのがなかなかちょっと一言でいえませんので、あとで感想でまた一緒に言おうかと思うんです。初めてだったことは、その日の晩に在ジュネーブ公使というんですか、それからパーマネント・リプルゼンタブル・ジャパンですから、日本の何代表というんですか、の両方がその NGO と社会権規約員の両方を招くパーティーを 8 月 21 日、審議の終了後行いました。これは前代未聞だそうです。

従前、政府は人権の NGO を極めて危険視しているんじゃないかと思うぐらい距離を置いていたのですが、なぜこのようなパーティを開催したのかなということについては、一応やはり社会権規約では建設的対話を重視しています。建設的対話というのは、委員会と政府という側面が 1 つあるし、それから NGO と政府の対話ということを繰り返し、繰り返し言っているわけですね。

このアイベ・リーデルさんが来られたときも、そういうことで NGO と外務省との懇談会が持たれたのですが、これは社会権規約委員会の要請があったんじゃないかと思われます。原口大使は最初のスピーチで、この人は例の外務省の機密費の関連で名前が出ていたようですが、この人が、本国の訓令によって開催することになった、自分は開くつもりはなかったんだけどというような口吻がちょっと取れましたけれども、そんなことを言っておりました。

NGO 側も政府は招かれていいのかとか、いろんな議論もあったんですが、そんなしようもないことよりは、とりあえず参加してというふうなことになりました。幸いにかなりいろんな情報を得ることができたんじゃないかと思います。政府側も二十何人来てるんですけども、パーティの場でそれらの人とみんな個別に話し合っているんですね。また委員とも話し合っているんですね。かなり本音に近い話がいろいろ聞けたというプラスはありました。

次に 8 月 21 日 NGO のプレス発表の予定でした。日本人の記者がいるわけで、そこに向けてプレス発表を意図していたんですが、残念ながら流れてしまいました。ちょうど向こうは夏休みだったんですね。なかなかそれぞれの記者クラブといいますとどこにあるのか、どうやって連絡をとるのか、それ自体がなかなかわからないということなんですが、ちょうど菅先生たちが大阪弁護士会として要請活動に行っておられまして、そのときにノウハウをつくられましたね。それに何かどこに行けば何があると、ただでコピーできるのはどこまでだというようなこともたしか載っておりました。それに、記者と接点、連絡の取り方でも書いています。そちらを、また御参照いただいたらいいと思います。

NGO 追加意見書というのは、日弁連は出さなかったんですが、審査のやり取りのあと最終見解をアイベ・リーデルさんがまとめたわけですが、それまでになおかつ意見書を出せば出せるんだという話です。

ただし、もうこの段階で余りしつこいのを出してもしようがないんで、何点か絞るべきだろうというようなことがありますが、一応そういう機会があったということで、多分どこかの団体は出したんじゃないかと思います。そういう機会もあるということで、ここに書きました。

最終見解が、きょうお配りしているものですが、それが 8 月 30 日に出ました。

日弁連会長声明は、ある程度予測しましてすぐ出そうということで、会長がソウルに出張していて出にくかったんですが、9 月 6 日には一応一定評価し、この履行を迫るという形の会長声明をすぐ出すことができました。

ちなみに、第 3 回の日本政府報告書の提出期限は、2006 年の 6 月 30 日になっております。ちょっと先ですが、またこれも実際に提出されるのは遅れるかもしれません。

そういうふうな中身は抜きにしまして、手続面だけ申し上げました。

どんな NGO が参加したかということで、一応皆さんには関心があるかもしれませんので書いておきました。まず日弁連。それから社会権 NGO レポート連絡会議というのは、これはいろんな団体の集合的な団体です。テーマが子どもだったり、労働だったり、いろんな団体の集合団体です。国際人権活動日本委員会、これは労働組合ですね。それは向こうでこういう名前を名乗っておりまして、国労問題、スト権の問題、あるいは過労死の問題、それから残業時間の問題などに取り組んでおりました。それから、在日朝鮮人人権協会、ここは慰安婦の問題等々、それから教科書問題等について発言されておりました。それから、部落解放人権研究所、市民外交センター、これも幾つかのグループの集合じゃないかと思います。

それから次のカンさんの件は、京都の小山弁護士が担当されている恩給と戦傷病者戦没者遺族等援護法による給付を求める戦後補償裁判で、小山先生と原告本人とがジュネーブに来られました。

それから、フィリピン元従軍慰安婦というのは私らの取り組んでいる問題です。それから、兵庫国際人権研究所、これは兵庫の震災の問題を中心に取り組んでいるグループではないかと思われます。それから、ウトロを守る会。こういった人が、みんなそれぞれ自分のレポートを持ってきまして、英文で準備しまして、それを事前に出しておく。本当はこれは数カ月前に出さなければいけないんです。会期前ぎりぎりになって出したところもありました。それを出した場合、委員はある程度読んでくれるようですが、それを短期間で咀嚼させると、理解させるというのはこれは大変なことですね。それぞれのグループが、それぞれ重複もしながら問題提起をするというときに、果たしてこんなに出して委員が読めるんだろうかと、どこまで読んでくれるんだろうかというのはなかなか難しい問題ではあるなという気がいたしました。

日本政府代表団も、20 名ジャストだったか、もうちょっと超えたでしょうかね、いうことで両方で 80 名。こんなことは始まって以来だということです。僕はイスラエルだとかほかの国審理も傍聴してたんですよ。傍聴者がゼロなんていうのも別に不思議じゃないんですね。イスラエルなんか傍聴者ゼロというとこで、西ガザ地区の占領地域におけるアラブ人の処遇の問題を延々とやっていました。あんな問題は、あちこちで関心を持っている事項だと思うんですが、実際審査ではイスラエルはまともに答えないんですね。それを委員としてやりとりしている、非常に貴重な質問、英語は余り理解できなかったんですが、あったんですけど、ああいうのは余り関心を呼ばずに置いておくというのはもったいないなという気がいたしましたが、ちょっとこれは本論から外れますが、今回の日本のように多数が行くのは、そんなに多くないということです。

それで、審査の経過と最終見解ですが、最終見解は、これは触れ始めたらたくさんあるんですが、積極的な側面ということで日本政府が立法を含めていろいろやったということを評価しています。それから、その全体の構成の中で懸念と勧告とを分けたんですよね。懸念は懸念で 23 項目、勧告は 30 項ありました。自由権規約は懸念と勧告と分けていなかったという理解をしておりますが、今回なぜ分けたのか。同じ問題について懸念と勧告とに分けたことによって、問題意識が分断されるんじゃないかなという気は、私しているんですが、一応やっぱり勧告のときにはそれに関連した懸念としてどういうことが表明されているのか見ながら読んだ方が、いいだろうとは思われます。

感想に入ろうと思いますが、プラスの側面、こんなにたくさん、向こうの委員が喜んでくれたという側面もあるんですが、参加したのは初めて、これ社会権規約委員会として、初めてということです。しかも、多数の NGO は時間配分をしまして結構協力体制をとってやりました。それなりに関心を持ってやったわけですが、しかし結局完全に集約できていないものですから、報告書というものは総論部分と言いますか全体を扱ったグループが 2 つありました。各論が 10 ぐらい、それぞれ出したということになるんですけれども、なかなか委員に本当に全体を理解させるのは難しいなと思いました。重複しますしね。

それもやっぱり読ませるのはかなり早い段階から送るということもあるんでしょうけれども、そこら辺の整理の仕方があるのか。しかも各個別の問題に取り組んでいるところは、全体の中に位置づけられてしまうとほんのわずかになってしまうという思いもあるんでしょうが、なかなか難しい問題ですが、NGO 全体でどう協力体制を組めばいいのか、なかなか大きな課題だろうと思います。

非常におもしろいと思ったのは、日本の NGO の中でもう主 (ぬし) みたいな人が 2 人いるんですね。ずっとジュネーブに駐在しているわけです。どうやって生活を維持されているのかよくわからないけれども、向こうに張りついていろんな委員会の動向をキャッチして日本に送ってくれる。同時に、私も始めてだったんですが、始めていく連中に対していろいろ親切丁寧に情報を教えてくれると。どこでどう行ったらどういうことができるよと、どこでその事務局と接触したらね、こういうことになると、そもそも出入りのため身分証明が必要だ、これを取るには、事前に、いつごろからどこに申し込みしたらできるんだとかいうふうなことを、その人たちが結構教えてくれるんですね。向こうに行ってからも、いろいろアドバイスをしていただきました。

たまたま戸塚先生もおられまして、菅先生たちが参加された小委員会の方でしたが戸塚先生も NGO は会議で発言できる、発言するにはこうしたらいいんだと。今から言うからファクス送れとか何とかいうようなことを急遽教えてくれたりしましたし。そういった協力がかなり向こうでは得られる。だから、その人たちに聞けばかなり情報としては間違いのないものを早く得られるんじゃないかなという気がいたします。

日本国内ではみんな仲がいいかどうか知りませんけど、ああいったところへ行くと孤独感もあるんでしょうか、非常に仲間うちには親切になりまして、大変我々はありがたい思いをしたことがありました。どこで泊まれば安いとこから始まりまして、いろいろ教えてくれました。

次は、自画自賛なんですが、日弁連レポート、日弁連ではこれがリスト・オブ・イッシューにもつながったし、勧告にもつながったんじゃないかという、自画自賛をしております。そして日本政府側はかなりこれを事前に読み込み検討をしております。それはなぜかといいますと、日弁連レポートをもとに 400 何十項目の想定問答誌をつくって、あらかじめ訓練した。まさにそういう感じで、質問があったらばあっとしゃべるんです。その訓練をしたという話はさっきのパーティーで教えてくれたんですけどね。いうふうなことでかなり向こうが人物、結局参考にしてくれたということもあるんです。また日弁連レポートで 1 つ間違いなく評価されたのは、国内のさっきの 26 の判決例、こうやって実際にこうだという解説をした。例えば、ドイツで言えば何百の判例うちの半分ぐらいが人権を守る為に使っているかとかいうようなことがあるでしょうが、日本はほぼゼロじゃないかと、これはひどいという、やっぱり印象を委員に与えたらしいです。そういうものを具体的に判決、全文ではないんですけれども内容も含めて、また一覧表にして出したということについてはかなり高い評価を得ることができました。

審査なんですが、6 時間というのは短いですね。これは総則、それから労働、その他と、3 つに分けてやったわけですけども、一応書面は政府報告書が出ている、これに対して委員会のリスト・オブ・イッシューが出ている、それから政府の回答書が出ているわけですね。それから NGO からカウンターレポートがいろいろ出ているわけですが、委員がそれらを踏まえて質問をする。それに対して政府が答えるというふうなことで、これに対してさらに重ねての質問というのはほとんどなされなかったように思います。

印象としてはここに書いておりますけれども、総論の、特に解釈論のところではある程度読み込んでくれたといいますか、ポイントを得た質問が出ていたと。政府側が、答えにくかった質問が出ていたように思います。

しかし審理の全体としては、日本政府によくしゃべられたという感じです。

委員の質問が出ると政府側は、これは実はこうこうこういうことを実はやってきました、これだけの法律をつくりました、これだけのことを努力しましたということを、日本政府は延々としゃべっておいて時間を使ってしまうというふうな印象で、肝心の聞きたいことについてはほとんど答えない、あるいは簡単にしか答えないという使われ方をしたという印象があります。

やはり弁護士の場合は、我々は反対尋問やっているときの経験がありますよね、聞きたいことをしゃべらせるというときに、こことこことここまでわかっていると。この点については、我々はこう考えるけれども、お前はこう言っていると。なぜなんだ、これはおかしいじゃないかというふうな切り取り方をすることがありますよね。

そうじゃなくて、一般的にこういう問題がありますと質問すると、答える側はざあっと言いたいことだけしゃべるんです。やはり問題をかなり切り取って、細かい質問の設定を委員にさせるということは必要じゃないか。確かに、資料としては相当出ているわけです。政府の追加資料もあるわけです。政府が答えた部分で、わかりきったことはもうほっといてもいいわけです。それをふまえてこの点はどうなんだと、そういうふうな質問点や角度をしぼらせるような働きかけを委員にしていく必要があるんじゃなかろうかなと思いました。その点は NGO の方々の働きかけはそういうことを余り意識していないままだったので、委員の質問としても抽象的になってしまった。だから政府側にしゃべられてしまったと。そういう印象を私はかなり今回は持ってしまいました。

政府の答弁を見ますと幾つか逃げのパターンがあります。第 1 は現在鋭意検討中という答え方です。たとえば留保についても日本政府はこう答えたのですが、これに対して委員は 79 年に留保して、それからもう何年たっているんだと。いまだに検討しているのかと、たたみかけるわけですね。これ 20 年もたっていて何なんだというふうに言われて、うーんと黙り込んでしまうと。それでやりとり終わってしまうわけです。第 2 のパターンは世論の支持です。これは死刑の問題なんかでもやるんですよね。これも、1 つは高校の教育の無償化の問題とかあったんですが、これも理屈にならないんで、問題は法規違反の問題ですから、世論の支持の問題じゃないんですよね。世論の支持があろうとなかろうと政府が率先してやるかどうかの問題ですから、それも理由にならないとたたき込まれていましたけれども、この 2 つの逃げのパターンというのは結構あったように思います。

アイベ・リーデルさんは実はこれ、ドイツの国際法の学者なんです。委員の中には学者でない人も、結構いるんですけど、やはり学者の方の議論というのは聞いていてやっぱり迫力がありましたね。特にリーデルさんの場合には、日本の現状を見ている強味がある。そのホームレスが何人いるという日本政府の報告に対して、そんなはずはないと。釜が崎でも 3 万人いるのを見たと。私、実際見てきたんだと。その中で 2 割は結核なんだということを言いました。これはたまたま大阪の関空に到着した日、元気だったものですから熊野先生と私で釜ヶ先を御案内したら、えらい時間をかけて回られたんですけれども、労働組合とか何とか話をしたんですが、自分の足で見ているものというのは強いですよね。政府側の委員は釜が崎については多分何も知らないでしょうね。全然切り返しも何もできなかったです。そういう、やっぱり迫力のある質問ができたというのは違うなと。やっぱり現地調査をしてもらったという意味は、非常に大きかったかと思います。

これは、このパーティーで社会権規約委員との話の中で聞いたんですけども、委員会としては、自由権規約のときにやはり菅先生たちが中心になって、3 回か 4 回のときには 2 名の各委員をそれぞれお呼びしたと。これも実は、日弁連が呼んだというよりも、大阪が主導になって呼んだものです。大阪と東京で、それぞれ講演会を持ったということなんですけれども、そういう実績も踏まえまして、社会権規約委員会の中でもぜひとも担当委員の担当国調査を制度化したいと、それぞれその政府ごとに担当委員を設けているわけですけれども、それをできれば事前に現地へ行って調査して、確認した成果の中でもう一回質問をするということをやりたい。しかし、金がないという問題にぶつかってしまうのですけれども。そういうふうな委員会側の姿勢まで日本の弁護士会等の働きかけが引き出してきたということは、非常に大きな成果だったと思います。これから、引き続きいろんな委員会の政府報告書の審査があると思うんですけど、少なくとも日本では事前の現地調査を慣例にしていくというふうなことができたらと思っております。

総論部分、日弁連が主に取り組んだのは総論部分なんですが、ごらんいただいたとおりなんですけれども、我々どうしても裁判での法的効力を問題にしますけれども、それについて 33 項では「少なくとも中核的義務に関しては、規約の規定を実際上直接適応できるものと解釈することを要請する」というふうな成果を得ております。ジェネラルコメントで言っていた中では、中核的義務だけについて触れたということになります。さらに、その立法とか行政措置をとるときに、社会権規約でこうなっているからこうすると規約を引用しろというんです。今まで、社会保障の立法や行政措置を見ても、社会権規約何条の何を達成するためにというのは、どこにも書いていないですね。国会でも議論されていませんよね。条約は国内法的効力があるわけで、裁判規範になるかどうかは別としまして、行政上の目的であるはずですよね。それをやっぱり引用しないというのはおかしいんじゃないか。これは我々すぐ政府に、実際に言えることなんですよね。だから、その社会権にかかわる権利ないし保護については、必ず社会権規約の権利を、条項を引用しろと。その水準に合致するかどうかということをまずやれというのは、これ対行政交渉で使えることですけれども、それを確保しろということです。

これは、NGO にとっては 1 つ大きな足がかりを与えてくれる、当然のことかもしれませんが、与えてくれたんじゃないかと思います。そこで、それを確保するために人権影響評価、その他の措置を導入についてもふれています。これがちょっとよくわからないですね。いわゆる環境影響評価というのは、利水だとか発電だとか一定のプラス面の目的があるときに、副次的といいますかマイナス面として環境に悪影響を及ぼす等、環境影響評価が求められます。本来環境を目的とした事業じゃなくて、ほかの目的の事業について環境に対して悪影響を評価するのがいわゆるアセスメントだったんです。人権影響評価も、そういう言葉で使っているのかなというのが、ちょっとよくわからなかったですね。

これはリーデルさんにまた問いかけてみる必要があると思うんですが、審議の中でも、これに類した言葉が出ているのかなとちょっと探ってみたんですが、例えば ODA、援助をするときに影響を考えながらという部分が 1 つありました。それは英文で読んでいただきたいと思うんですけれども。人権に関する事業・政策についてのことをおっしゃっておられるのか、ほかのプロジェクトで人権に対する影響のことをおっしゃっておられるのか、両方なのかよく理解がしがたいところで、これはまた確認していきたいと思います。

それから、自由権規約委員会の最終見解でも出ていましたけれども、35 項ですけれども、人権規約、特に裁判官に対する教育、これは裁判所としてはなかなか受け入れがたいものなんでしょうけれども、全然日本の判決においてビューだとかジェネラルコメントが受け入れられていないということが、自由権規約委員会では問題になりましたけども、社会権規約委員会でもやはりこれも出てきました。これはやはり日弁連が 26 の裁判例でほとんど原告の有利に引用されていない。はっきり言えば、無視されているということを突きつけたことだろうと思いますが、これを裁判所に対してこの教育をどうやって実現させていくのかと、なかなか難しい問題であります。裁判官にしたらとんでもない、メンツにかかわることみたいな面もありますが、具体的に実現に向けてどう考えたらいいのでしょうか。

国内行動計画とか国際援助がありますが、私としては注目したかったのは 38 項の国内人権機関の設置です。98 年の自由権規約委員会の勧告でも言われましたけど、やはり社会権についても言われたと。国内人権機関については、人権救済、それから教育、立法・政策提言、この 3 つの機能を持たせているわけですが、社会権についても人権救済機能は特に落としていないということは、社会権に関して一定のことについて人権侵害が判断ができるんだという理解だと思います。このことは、司法的判断が可能だという社会権規約委員会の考え方を裏づけている。その延長上にあることですし、また個人通報導入に向けて、今ドラフトをつくっているということから、やはり社会権規約違反というのは判断して人権侵害として救済ができるんだという前提で進められているということになろうかと思います。

個人通報制度の実現問題、社会権規約はこれからなんですが、我々は、今では反対しているのは最高裁だけだ、もう大体法務省と外務省は落ちたという印象でおりました。最高裁が要するに上に 4 審制をつくるだとか、あるいは終局的な裁判所だと憲法の規定に反するんじゃないかというふうなことで反対していると、あるいはメンツの問題で反対していると、そういう理解でおりましたけれども、今回先程のパーティなどで話をしていますと、やっぱり法務省サイドもかなり批判が強いですね。かつて、自由権規約の見解もそうだと言っているんですが、今回は自由権規約以外の見解が結構齟齬があったり矛盾があったりする、あるいはとても採用できないというふうな露骨な批判が結構ありました。個人通報制度は自由権規約、それから拷問、それから差別等々にもあるわけですが、1 つ応じてしまうと全部応じてしまわないといけないから、結局全部について応じられないんだということをパーティーの場で言っておりました。余りおもしろくないことですけれども、そういう生の声をパーティーで聞けたというのはいいことだと思います。

今後の問題ですが、社会権規約委員会は建設的対話とフォローアップをかなり強調されていました。さっきも言いましたように、建設的対話というは委員会と政府、それから NGO と政府と両方あるんです。あるいは、ひょっとしたら NGO と委員会もあるかもしれません。今回、政府のパーティーがあった、あるいはその政府と NGO の懇談会があったということですけれども、今後これをこちらの方がやはり委員会が言っているんだからということで、積極的にリーダーシップをとって政府、行政に対話を求めていく必要があろうかと思います。それは各個別の NGO でやるのか、NGO が集団でやったらいいのか、その議題ごとに考えなきゃいけないかもしれません。当面成果があがるかどうかわかりませんが、この対話で打ち切る手はないだろうと思っております。それは既にそれぞれの NGO が取り組んでいることになりましょうし、日弁連としても対応を考えると思います。

次の報告書の提出が 2006 年なんですが、それまで空白があけるのではなく、委員会はフォローアップをするように求めています。委員会が繰り返し、繰り返し言っているのは、勧告を出した後、あとが戻ってこないからわからないというんですね。勧告を出した後の履行状況についてどうなっているのかということを、政府及び NGO は委員会に連絡しろと言うんです。そういうコミュニケーションを還元するということを、繰り返し、繰り返し求めています。それを伝えたら委員会が何をやってくれるかもう一つわかりませんけれども、政府に対する事実の確認、さらには事実上のアドバイスを含めて対応してくれるのかもしれません。

そういうことで、やはり次の審査までの間もそういった委員会とずっと連携をとりながらやっていくという動きが必要になるんじゃなかろうかというふうに思いました。

一応 3 時 15 分ですので、とりあえず私の報告はここまでにさせていただきます。

どうもありがとうございました。