人権の国際的保障 ―― その発展と日本への影響

2003 年 5 月 24 日 (土)

講演者: 中井伊都子 (甲南大学法学部教授)


本日はこうして報告の機会をいただいて非常にありがとうございます。不注意で風邪を引きまして、お聞き苦しい点がありますことをどうぞ御容赦くださいませ。
  1. はじめに
    私がいただきましてテーマは人権の国際的保障: その発展と日本への影響です。このテーマでお話する場合、2 つの方法があるかと思います。1 つは、広く一般に NGO ですとか市民団体の方々がどうやってこのすばらしい国際人権保障文書なるものを使っていくのか、実際にどういう場面でそれが活用できるのかということをお話する方法です。それともう一つは国際人権法が裁判所などでどういうふうに使われているのか使われていないのか、そして私たちがどういうふうに裁判で使っていけるのかというところからお話する方法です。
    今日は、自由人権協会の方々にお話させていただくということで、後者の裁判での利用状況はどうなっているのだろうかというところにお話を持っていって、こうやって書いたもので置いておくべきではなくて、日本には、そして当然日本の裁判所には主張された国際人権法にしたがって裁判する責任があるいうところを最後の結論にさせていただきたいと思います。
    ここで今日扱う人権というのは、したがいまして、あくまでも国家と個人との関係における人の権利という意味です。広く人権といいますと、義務が対世的、絶対的なものですので、例えば私自身にもほかの方の人権を尊重する義務が当然あるわけなんですけれども、ここでは非常に限定的にあくまでも国家対個人の関係に限定した人権ということをお話させていただきたいと思います。
  2. 「人権」の「国際」化の経緯
    まず最初に、人権がどうして国際化したのか。本日のテーマも人権の国際的保障というふうに書いたのですが、なぜ人権という問題が国際的な問題となって私たちの前にあらわれてきたんだろうかというところを、まずお話したいと思います。本来は、たとえば日本の国内で個人の人権が国家によってどう扱われるかという、国家対国民の権利義務の関係として憲法上で構成されるべき人権というテーマなんですけれども、これに国際という形容詞がくっついてきている。国境をまたいだ問題となってきている。一体どこからこういう流れが出てきたのでしょうか。
    あくまでも人権は国内問題であるというふうに構成し続けるのであれば、ほかの国の人権状況に対して口を出すことは内政干渉ということになって、国家の反発を買うわけなんですけれども、この立場を非常に強く貫いているのが、今でも中国とかシンガポールとかマレーシアとかといったアジアの一部の国々です。
    それが理由で、少し余談になりますけれども、いまだに残念ながらアジアには地域的な人権保障のシステムが構築されていない。ところが、アジア以外でいうとヨーロッパには第 2 次大戦後すぐからあります。ヨーロッパといいますと最近ではロシアも自分たちはヨーロッパだというふうに言っておりますし、東欧もみんなヨーロッパのアイデンティティーを求めてきておりますので、いまでは広い意味でのヨーロッパをカバーしています。ラテンアメリカ、それからアフリカ地域にも地域的な人権保障システムがあります。残念ながらアジアに存在しないのは、やはりこういう人権が国際化していることを認めない強硬な中国、シンガポール、マレーシアなどの存在が大きいかと思います。
    ところで、この人権という言葉に、国際という形容詞がくっついた経緯なんですけれども、一言で申しますと第 2 次世界大戦の反省です。第 2 次世界大戦において、例えば日本、例えばドイツのように一国内で、もしくは自らが併合した領域内において、その地域の人々の生命や人権を蹂躙した国々、こういった国々は結局はその矛先をほかの国に向けていった。国際社会の平和と安全を徹底的に踏みつぶしたのです。
    ということで、結局は、今よくアメリカが使う言葉ですけれども、「ならず者国家」がいたせいで国際社会はああいう悲惨な目を見ることになったという認識が広がりました。第 2 次世界大戦が終結した時点で、国際社会が最も強く望んだのは国際社会の平和と安全でした。二度と戦争のない国際社会をつくっていこうという希望だったわけです。そのためには、翻って考えるに、あのような「ならず者国家」を出してはいけない。すべての国家が人権保障を確立したすばらしい国際社会をつくりましょうという理想がまず掲げられたわけではなくて、むしろどうしても手に入れたい国際の平和と安全、このためには何が必要か。二度とああいう侵略的な国家を出さないこと、侵略的な国家とはどういう国家だったか。内部において人権を蹂躙した国家だったということから、ではお互いの国の人権状況を、一部国家主権の壁を透明にしてのぞき合っていきましょう、そうすることによって、国際社会の平和が得られるであろうというのが、1945 年時点で連合国側 (そしてそれらの国が組織した国際連合) が夢見た国際社会のあるべき姿だったわけです。
  3. 国連文書に見る国際人権保障
    それまでイニシアチブをとってきたルーズベルト大統領は、戦争の終結を見ることなく亡くなりましたが、その遺志を継いた夫人のエレノア・ルーズベルトが努力しまして「世界人権宣言」を世に送りだしたのを皮切りに、さまざまな国際人権保障に関する文書が国連を舞台に採択されていくことになります。
    1948 年の世界人権宣言ですが、この時点でもう既に、例えばもっと民主主義という言葉を前面に押し出さなければ納得できないと主張したソ連、それに追随した東欧諸国の批判もありました。本当のソ連東欧諸国のねらいはもしかしたら世界人権宣言の中に盛り込まれようとした「財産権」に対して、社会主義という体制上、人権として認めるわけにいかないという強い嫌悪感だったのかもしれませんが、この宣言の採択にあたっては最終的に棄権をしてしまいます。
    それから、男女平等が前面に押し出されましたが、それに対してコーランの教えとの齟齬を危惧したイスラム教国のサウジアラビアも棄権をしました。さすがに、すべての国家は人権を保障しましょうという宣言に対して反対票を投じることはどの国もしなかったわけです。ちなみにあと一国棄権をしたのは南アフリカです。南アフリカは、アパルトヘイト政策をとっていましたので、人種による差別のない平等は政策と一致しないいうことで棄権いたしました。いずれにしても賛成多数、あとは棄権ということで世界人権宣言が 1948 年に採択されることになります。
    残念ながら、この世界人権宣言はいくらすばらしいことが書かれていましても、あくまでも宣言ですので、全く法的な拘束力を持たないんです。そこで、何とか国家に守らせよう、法的な義務を課す内容のものをつくり上げようではないかということで、はやくも世界人権宣言採択の翌年から作業が始まります。
    このあと次々と採択されていく人権条約なんですけれども、ちょっと視点をかえて人権条約の特殊性というようなことをお話してみたいと思います。条約というのはまさに国家と国家が約束ごとでありまして、例えばこの商品に関して、この作物に対して関税はこれだけにしましょう、国境はここに引きましょう、もしくは漁業水域はここに境界線を引きましょうというような内容で、国家と国家の約束ごと、権利・義務関係を定めたものが条約といわれるものです。ところがこの人権条約というのは、「わかりました。私は私の国の国民の人権を守ります」と国家が約束する条約なんです。ここで問題になるのは、だれに対して国家が約束したかということです。たとえば日韓漁業協定というと、日本が韓国に対して約束したことはこれこれ。日米安全保障条約、アメリカが約束した内容は日本に向けられたものです。ところがこの人権条約というのは、たとえば日本が守りますといった条約の中身はだれに対する義務なのでしょうか。もちろん、日本国民に対してでしょうというのは簡単な答えですが、条約という国と国との約束ごとを、国際法の平面で考えたときに、すなわち国家と国家の合意として見た時に、人権条約というのは相手のない、たとえ宣言から条約に格上げされて、法定拘束力が伴ったといっても、目に見えた相手のない、国際社会全体に対する国家の義務をしょい込むことの表明ということに過ぎない点を注意しておく必要があると思います。
    似ているとすれば、最近多くなってきている環境関連の条約ですね。これも人権条約と同じで、国際社会、もしくは将来の世代に対して国家が約束をするという構造をとっております。
    少しそれましたが、名宛人をどこにするかということは別にしまして、この宣言を宣言のままで終わらせずに、何とか条約、つまり国家の法的な義務を伴う約束ごとに持ち上げるという努力がその後今に至まで延々と続けられていくことになります。
    では世界人権宣言はそのまま世界人権条約になったらよかったのでしょうか。この世界人権宣言に書かれた各々な人権の特徴をよく見ていきますと、例えば表現の自由、宗教の自由、集会結社の自由などのように、国家が、その人権が保障されている状態を作り出すためには、まずは何も手出しをしないことが求められる権利と、例えば社会保障を受ける権利や教育を受ける権利など、国家にはお金もかかるし、時間もかかるし、知恵も絞り込んで実現していかなければならない権利、この 2 つの権利がいっしょに詰め込まれていることに気づきます。
    このままの形で世界人権条約に持ち上げたのでは、対応する国家の義務が非常にあいまいになってしまうということで、ここで国家が手をかけ時間をかけお金をかけて実現しなければならない社会権と、国家が一切手を出さないことによって実現される自由権の、2 つのカテゴリーに分けて議論をすることになりました。
    その結果、採択されたのが一般に自由権規約と呼ばれております市民的及び政治的権利に関する国際規約と、一般に社会権規約と呼ばれております経済的、社会的及び文化的関連に関する国際規約という 2 つの規約でした。当初は 50 から 60 か国のほどの当時の国連メンバーが始めた議論ですけれども、今や いずれの規約にも 140 ヶ国以上が加盟しています。
    そのほかに、人種差別撤廃条約、女子差別撤廃条約、拷問禁止条約、さらに発効後猛スピードで加盟国を増やし、数年で 191 の加盟国を持つことになった子どもの権利条約などが人権分野で採択されていきます。もう少し広い観点でいうと難民の地位に関する条約なども人権関連条約の一部としてとらえることができるかと思います。
    このように、自由権と社会権が混在している世界人権宣言をそのまま条約に持ち上げたのでは、それぞれに対応する国家の義務が非常にあいまいになって、それぞれの人権をどうやって保障し確保してくれるのかといったときの国家の義務が非常に見えにくい。だから、2 つの規約に分けて論じましょうということだったんですけれども、しかし現実には、自由権規約に入った権利に関してはもう国家は何も手出しをしさえしなければいいわけですから、即時に実施できます。宗教の自由にしても、政治の意見を表明する自由にしても、表現の自由にしても同じことです。ところが、社会権のバスケットに入ってしまった権利に関しては、それはお金もかかるし時間もかかるし手間もかかります。だから、国家は漸進的に、徐々に、ゆっくり国家の情勢を勘案しながら実現していったらいいんですよといった、日本の憲法でいう、プログラム規定として位置づけられることになってしまいました。
    本当にそう言えるのか、自由権規約の中に入れられた権利は即時実施になじんで、社会権規約の中に入ってしまった権利はゆっくり、徐々に実現したらいい権利なのかと言いますと、必ずしもそうではないのです。
    例えば居住に関する権利、居住権というのがあります。私たちが住みたい所に住み、必要な場合には自分たちの住宅を国家によって確保してもらう権利ですけれども、この居住権というのは確かに地震の直後などで考えますと、住むところがなくなった、国家がすぐに住宅政策などを充実させて、被災者の人に公的住宅を供給していく。それは国家の働きによるところが大きい。したがって、この権利は社会権的な側面が大きいように思いますけれども、例えば行くところがなくなった、でも遠くの公営住宅には入りたくない。このままここで住むしかないんだと、壊れかけた家に住んでいる人たち、公園に住むしかなかった人たち、そういう人たちをブルドーザーを持ってきて追い立てていくような行為、それからホームレスの人たちに対する行政の行為、これは彼らがそこにい続けたいと思うことに対する明らかな侵害を構成します。ということは、居住権にも国家が手を出さないことによって実現される、自由権的な側面もあるということになってきます。
    ここでお伝えしたいのは、1 つの権利を取り上げてこれは自由権、これは社会権というふうに、運動会の赤玉入れ白玉入れのように分類していくことによって、国家のそれに対応する義務を一面化し固定してしまう危険性が大きいということです。実は取り上げてみて赤玉だと思っても、ちょっと裏返してみたら半分は白だったというのが人権の現実ではないかと思います。表現の自由といっても、必ずしも国家は何もしないだけで実現できる自由権側面だけではなくて、そこには何らかの法制度の策定を伴う必要がある場合もありますし、宗教の自由に関してもそうです。
    ですので、こういうふうに歴史的な経緯の中で人権を二つのカテゴリーに分類せざるを得なかったことはある程度やむを得ないとしても、自由権に関しては国家が手出しをしないという意味での消極的義務、社会権に対してはさまざまな措置が必要であるという意味での積極的義務を負っている、だからもう一方の義務は負っていないんだという抗弁に使われることは、人権保障の趣旨から大きく外れることになるのではないかと思います。例えばホームレスの方を自治体が追い立てている。彼らには居住権があるんだといいますと、居住権というのは、社会権であるから、それを実現するために公的な住宅を用意するのであって、強制立退きさせることはは居住の権利侵害とは関係ないというふうな抗弁を許してしまうこの二分法は、注意しなければならないと思います。形式上このような二分法になってしまっていますけれども、現実に人権というものには常にどの権利を取り上げても社会権的側面と自由権的側面があるのであって、決して全体が赤玉で赤の箱へ、全体が白玉で白の箱へというような玉入れができる性格のものではないということを、ご理解いただきたいと思います。
    市民的及び政治的権利に関する規約、このあとは省略して自由権規約と申し上げますけれども、この自由権規約を監視している委員会は、非常に早くからこの点に気づいておりました。ここは自由権規約の実施と監視の委員会だけれども、たとえ社会権にかかわる問題であっても、平等という観点が関わっているのであれば、社会権の享受が即時に実施されなければならない部分があるということを判断しますよと繰り返し述べています。
    自由権規約第 26 条が求めている差別をしない、平等を確保するということは時間がかかる話ではない。即時実施になじむものであるということで、その平等を橋渡しにして自由権と社会権は、切り離すものではないんですよということを言っているわけです。
    こういうふうな人権の特徴、人権条約の特殊性、それから人権保障のあり方が戦後約 60 年間かかって随分固まってきたように思われます。ここでは、あくまでも国連を中心とした普遍的な、全世界に及ぶような人権の話を中心にしておりますけれども、先ほども少し言いましたヨーロッパにはヨーロッパの一歩進んだ人権保障体制がありますし、アフリカにはアフリカの個人と同時に集団を大事にする視点を生かした人権保障体制があります。ラテン・アメリカ諸国もそのような体制を組み立ててきました。ですが、ここではあくまでも普遍的なという意味で、国連を中心とした人権保障体制の保持が固まってきた経緯をお話しいたしました。
  4. 国際人権規範と日本の国内法との関係
    このように出来上がってきた国際人権規範。たいそうすばらしいものができたのですが、これが私たちの生活に一体どういうふうに影響していくのかというところが一番大事なところです。ここからそのお話に入りたいと思います。
    日本国憲法第 98 条 2 項規定には、日本が締結した条約、確立した国際法規というのは、これを誠実に遵守しなければならないと書かれています。この誠実に遵守しなければならないという文言から、日本が加入した条約が国内的な効力を持ついうことは一般に争いのない解釈として確立しています。一般に、憲法が国の最高法規であり、その次に日本が批准しもしくは加入した条約がきて、その下に国内法がくるという 3 層構造になっております。
    余談ですけれども、国によっては国家が加入した条約が国の最高法規になるところがあります。オランダやオーストリアがそうです。恐らく、非常に過酷な国際情勢の中を柔軟に対応して生き延びててこなければならなかった国家の宿命ではないかと思うんですが、憲法よりも国際法を上位に置くことによって、憲法を国際法に合わせる、柔軟性を持っています。多くの国家と同様に日本も、国の最高法規はあくまで憲法です。ただし、誠実に遵守するというからには憲法の次には国際的な規範が来て、国内法はその下位という構造をとっています。
    ここでは日本が加入した国際的な規範である人権条約との関係で、それぞれ議会、行政、裁判所がどういうことをしなければならないかということをお話しします。

    【議会】

    まず、議会ですが、例えば国連を舞台にして採択された人権条約に日本が加入しようという場合に、まず現行の法律がこれから入ろうとしている人権条約と一致し両立しているかをチェックしていく作業に入ります。もし不一致が存在しているならば、それは国内法の方が下位に来るわけですから、当然無効となってしまいます。そこで改正をしたり、改廃したりという作業に入ります。
    この作業に日本はわりと慎重でして、条約に入る前にかなり時間をかけて既存の法律とこれから入ろうとする人権条約との整合性をチェックしていくようです。全然そうではない国もありまして、比較的簡単に加入して、後からいっぱい問題が見つかっても知らん顔しているとか、何とか順番にやっていきますとうそぶいているような国もあります。
    諸法との整合性が一応確認できれば、国会は条約にはいることを承認します。いったん条約の締約国となってしまいますと、議会はそれ以降の法律などが条約規定と両立していることを確保して立法しなければならないということになります。これはもちろん国会レベルでもそうですし、府議会、県議会、市議会レベル、すべてのレベルの立法機関において同じことが言えます。

    【行政】

    行政は条約の交渉、起草過程から関わってこの条約に入ろうと思うんだけれどもと国会の承認を求めます。この国会の承認が得られて条約の締約国になれば、行政はあらゆる行政措置と人権条約の規定が両立することを確保していかなければなりません。これはまさにあらゆるレベルの行政にあてはまる要請でありまして、県だから、府だから、区だからということなく、すべてのレベルにおける行政措置が国際人権規約と一致していることを確保していく必要があります。
    私がこの社会権を深く勉強し始めたのは、阪神大震災のときに自分も神戸に住んでいたという経緯からだったんですけれども、そのときに復興に関する行政の行為が人権規範と合わないことを説明ほしいということで、いくつか行政を回ったことがありました。残念ながら「えっ、市民的?。何、それ」、「経済的、それからもう一個何でしたっけ?」という具合で、市や県の「えらいさん」がたは人権条約の存在すら全く知りませんでした。
    国際規約というのは国際条約と全く意味が同じなんですけれども、「国際規約言うてはりますやん、さっきから国際条約言うてはるのとえらい話が違いますやん」といって、話が振り出しに戻ったことも何回もありまして、もうがっかりしました。でも、こういう状況というのは決して許されるものではなくて、あらゆるレベルの行政において国が入っている条約、人権規範、人権条約の内容が周知徹底されているというのが、当然本来あり得べき姿なのです。

    【司法】

    それから、次に司法、裁判所についてです。さきほど日本が加入した条約が、国内的な効力を持つというふうに申しました。しかしこの国内的効力を持つということと、裁判所において直接に適用することができるというのは別問題です。たとえば私は裁判所に、国家によって自由権規約の第 19 条違反を受けましたと申し立て、裁判所がそれを判断する、つまり直接適用できるのでしょうか。直接適用できるというのは、それ以上何らの措置もとらずに法律、立法措置もとらずに適用することができるという意味です。それをどうやって見分けていくのか。これはもうそれぞれの文言を見ていくしかありません。
    そうやって見ていきますと個人の権利とか義務とかを創設する規定があります。例えばすべての者は生命に対する固有の権利を有するというふうに、個人の権利がここで創設されている。これは、そのまま直接適用が可能だと考えられています。一方同じ自由権規約でも、例えば 20 条に戦争宣伝とか差別衝動の禁止という規定があります。その規定を見ますと、戦争のためのいかなる宣伝も法律で禁止すると書いてあります。ということは、この条約に入った以上日本は戦争宣伝とか差別衝動を禁止する法律をつくらなければならないということです。ということは、この規定はそのまま裁判所に直接適用されることはあり得ない。一たん国会で差別衝動、戦争宣伝禁止法のようなものをつくらないといけない。ワンクッション必要になってくるということです。
    自由権規約は直接適用が可能かどうかというような議論がありますけれども、やはりこれは各条文ごとにその条文の形式と制定のときの制定者の意図などを調べた上で見極めていく必要があると思います。
    ほかに、どのような条約が直接適用可能かといいますと、例えば東京の青山に国連大学がありますけれども、それを可能にしているのは日本と国連の国連大学本部協定です。それから、国連の専門機関である WHO が神戸にありますが、それに関する特権とか免除に関する日本と WHO の国際的約束は国内でそのまま適用が可能だと考えられています。それから、領海とか接続水域に関する条約も直接適用が可能だというふうに考えられております。
    社会権に分類されている権利は、第一義的には国家の関与を必要としますので、直接適用はできないと一般に考えられています。ただ、先ほど自由権規約委員会の判断、動向として紹介しましたとおり、たとえ社会権規約の規定であってもそれを平等に適用していくということに関しては、自由権規約の平等規定から導かれる無差別原則は直接に適用されることができると考えられます。
    日本の現状について結論から言ってしまいますと日本の裁判所は自由権、社会権を問わずその国際人権規範の適用には非常に消極的です。その実態を以下でお話します。
  5. 日本の裁判所における国際人権規範適用の実態

    【原告側】

    かつて原告側 (人権を侵害されたと主張する個人側) は、人権条約が国内的に効力を持つことと直接適用が可能ということは違うというところを無視して、日本が条約に入った以上、それは国内法よりも上位の国内的効力を持つので、国の行為もしくは立法は規約違反であるという 1 本調子の論法をとっていたように思われます。
    ところが、それに対する反省もかなり生じまして、90 年代半ば以降、まずこの規定に関しては直接適用ができる、だからこの規定を直接本件に適用した結果、国の行為もしくは立法に違反があるんだということを主張し始めました。これは、自由権の内容に関する研究がかなり進んできたということもありますし、それからここの大阪弁護士会の方々が中心になられて、選択議定書批准の運動が広がりを見せたということとも大きく関係があるだろうと思います。

    【国側】

    これに対しまして、国側には大きく分けて 3 つの対応の仕方があるように思われます。まず一つは、自由権規約の規定を使って主張していることを全く無視して、憲法で反論をする。二つめは憲法の議論を展開した上で、自由権規約もこれと同趣旨であるという形で最後にちょっと付言して終り。それから 3 番目の対応としましては、先ほど申しました通り原告側が 90 年代半ばから直接適用の可能性ということを立証してから援用するようになったということに対応しまして、自由権規約には直接適用の可能性はなく、自由権規約を根拠にして個人が国家に権利の保障を請求することはできないという主張で切りかえしている。この大きく分けてこの 3 つの対応が行われてきました。
    90 年代に入ってからアメリカが自由権規約を批准しました。そのときに、明確にアメリカは、自由権規約は自動執行性はない。すなわち、裁判所において直接適用可能ではないということを解釈宣言として発表しました。それに対して裁判所で使えないなら何のためにアメリカは規約に入るんだという議論を呼びました。もちろんアメリカが条約に入ったということは、政府報告書が国連に提出されてきて、その報告書が公開の場で審査されるという意義はあるんですけれども、国内的な意味はないということをアメリカははっきり言い切ったわけです。
    日本は、そんな国際的にたたかれるようなことは一切言わずに自由権規約に入ったんですけれども、今言いました 3 つの対応から見ますと、どうも日本政府も自由権規約には直接適用の可能性はなく、規約の中身を見るまでもなく、規約全体としてその可能性はないんだという立場をとっているように思われます。

    【裁判所側】

    それに対応する裁判所なんですが、政府の立場がどうであれ裁判所がこれを正しく適用してくれるのであれば問題はないわけです。原告側、つまり権利を侵害された個人の側が自由権規約の特定の規定を直接適用可能だとして持ち出しているわけですから、これを裁判所が適用してくれればいいわけです。それが叶った画期的なものもあるんです。
    例えば、1993 年に東京高裁で法定通訳の援助を受ける権利というのが認められまして、裁判所はこの権利は自由権規約によって初めて正文上の根拠を持つに至ったものだと言いました。だから、憲法からは読み出せない、自由権規約を適用しますというわけです。それから法定メモ (法定でメモをとること) が禁止されていたんですけれども、憲法の第 21 条及び自由権規約の第 19 条 2 項において規定されている表現の自由に照らして、メモを取る権利というのは尊重に値する権利であるとも述べました。国内法の解釈基準として間接的に適用するという手法がとられて、メモが即日解禁されたという例が 1992 年にありました。これは、争ったアメリカ人のジャーナリストの名前を取ってレペッタ事件というふうに呼ばれています。
    それから、刑務所の接見に関してですが、自由権規約の直接的な適用の可能性を認めた上で、第 14 条の規定の接見に関する権利の直接適用を認め、国内法はその上位にある国際人権規範に照らして解釈しなければならないという一般論に基づいて、接見は刑務所長の裁量ではないという判断を下した例があります。徳島地裁の 1996 年、それからこれを高松高裁が支持をしています。
    もう 1 つ、指紋押捺の拒否に関して規約をさまざまな補助手段を用いて解釈・適用した結果、これは無差別を定めた規約 26 条に違反する制度であるが、アイデンティティーの確認という目的は正当である、しかし、そのそのアイデンティティーの確認という目的の正当性が現在になってきて減少してきていることは明らかなので、この制度が不合理であると疑う余地がありますということで、国家賠償請求を認めたケースがあります。
    こういうふうに紹介しますと、日本の裁判所もかなり使ってきてると思われるかもしれませんが、大体これぐらいです。一般的には、前の最高裁判所の伊藤正巳判事の言葉ですけれども、特に最高裁判所は、国際人権規範の援用には非常に冷淡で消極的だというふうに言っておられます。これはほかの下級裁判所一般に対しても、程度の差こそありますが、あてはまることです。
    裁判所の態度は、3 つに分けて考えることができると思います。まず 1 つは無視することです。国際人権規範の適用の部分を全く見なかったことにして議論を進めていく。これは特に最高裁に見られる態度でして、これは刑事訴訟法や民事訴訟法上、憲法違反とか判例違反あるいは例外的に法令の解釈に関する重要な事項を含むもの以外は上告の理由にならないというのがありますので、そこをよりどころに最高裁はそれを無視してくる傾向が非常に強い。
    ただ、特に国際人権を勉強している者の間では、この法令の解釈に関する重要な事項を含むものであれば上告できるのだから、その法令の中に当然日本が当事国となっている条約、それから憲法の第 98 条 2 項通じて、国内的な効力を持っている人権条約規範を含めれば、十分上告理由になり得るのではないかということが議論されています。今のところ、これは最高裁としては認めがたい。したがって、条約違反を主張して裁判所に上告をしても、それは認められないというのが一般的です。
    それから、2 つ目の裁判所の態度として多いのが、簡単にこの国際人権規範の違反の主張を退けてしまうケースです。先ほど法廷メモが解禁になった非常に画期的なケースだということで、レペッタ事件を紹介しましたけれども、これもまさに自由権規約の表現の自由を正面から適用したわけではなくて、憲法 21 条を解釈し、そこに自由権規約の言っている表現の自由も同じ趣旨だからということで、上に乗っけただけの話で、決して人権規約独自の適用に至ったわけではありません。
    それから、簡単に退けるということのもう一つの方法として、憲法上の人権の制約基準、これはよく言われる公共の福祉というものですけれども、これを国際人権法の解釈にも持ち込んでしまう。その結果、訴えを退けてしまうというのがあります。
    国際人権法における人権の制約基準、どんな場合だったら人権を制約し得るのかというのは、条文によって違いますが、一般に国の安全ですとか公の秩序だとか、公衆の健康、それから道徳の保護など挙げられます。そしてそれぞれ制約される人権と、その人権を制約してまで達成しようとする国の措置の目的との均衡が本当にとれているのかどうかという、均衡性が厳しくチェックされるのですが、公共の福祉ということで、日本は大きく包み込んでしまって、人権の制約基準を細かく判断するというところに至っていません。そのことは、自由権規約委員においても日本政府が何度となく批判されている部分です。いまだに、この手法をとって人権条約の適用を簡単に退けてしまっているのが現実です。
    それから、3 つ目として、裁判所には国際人権規範を使うことに大いなる躊躇が見られます。言い方としては、国際人権規約に違反しているかもしれないけれども、そこから先の結論は立法者にお任せします、というものです。これは、戦後保障関係の判決の中でとられた手法ですけれども、例えば重大な差別を生じさせる取り扱いというのは、憲法の 14 条に違反する恐れがある。憲法の 14条 と同じ幅の保障を提供している国際人権規約にも違反する恐れがある。しかし、在日韓国人への援護内容をどうするかというのは立法政策の問題であるので、ここでは判断いたしませんという言い方です。
    さらに、規約違反とか憲法違反は存在しないんだといって制度を合理化する、合憲性を擁護する姿勢が見られる例がたくさんあります。
    これは、おもしろいことに、一方で裁判所が一生懸命制度を擁護しているときに、政治的に制度の改善とか廃止が進むことがあって、例えば指紋押捺に関しても裁判所がそれは違憲ではないし、ましてや自由権規約に反するものでもないという判断を繰り返してしているのに、政治的判断で指紋押捺制度が廃止になったという経緯もありました。
    このように、先に幾つか裁判所が具体的に自由権規約を適用した例をお話はしましたけれども、必ずしも憲法と切り離して自由権規約独自の解釈の幅がある、保障の幅があるという判断を行った事例は非常にまれです。先ほどの、通訳の援助を受ける権利ぐらいのものでしょうか。
    あとは、やはり憲法の裏づけといいますか、補強に使われるケースがほとんどです。さらに、一般的には使われないケースが大部分を占めていて、たとえ主張したとしても裁判所としてはそれを無視してくるか、簡単に退けるか、使うことを躊躇をしているというのが現実のように思います。
    日本の裁判所の一般的な態度として、違憲、無効という判断を下すことには非常に慎重です。戦後5件ぐらいしかありません。何とかして、公共の福祉の理論ですとか、立法裁量論ですとか、統治行為論を用いて憲法判断を回避しようという傾向が非常に強いです。まして、国際人権規範なるものを外から引っ張ってきて、それと国内法の整合性を云々しようということに対しては非常におよび腰であるというのが現実です。
    おそらく、裁判官の方々というのは自分達の仕事は国会で制定した法律をいかに解釈、適用していくかということであって、それがそもそも合憲か違憲か、そもそも国際基準に合ってるか合ってないかという、そんなそもそものところを論じるのは自分たちの役割ではないというふうに考えておられるように思います。
    以前、自由権規約委員会の委員の方が日本の最高裁判所を訪問された際に、日本も選択議定書に入ったらどうですかということを話されたそうですが、裁判官は日本には司法の独立がありますからという、よくわからない発言をしてその委員を驚かせたそうです。こういう発言も外から自分の国の法律や施策を計る尺度を持ち込まれることに対する強い嫌悪感、危機感というものがあらわれているような気がいたしました。
  6. 今後の課題と展望
    裁判所はダメだというお話を最後に持ってきてしまいましたけれども、これまで日本が国際人権規約に入ったから、人種差別撤廃条約に入ったから、女子差別撤廃条約に入ったから、子どもの権利条約に入ったからということを契機に、国内のさまざまな制度がそれらの規範に沿うように改正されてきたことは事実です。
    それから、それら人権条約に入ることによって日本は国連に対して報告書を出さなければいけません。昔は報告書をこそっとつくって、こそっと出していましたけれども、最近は報告書作成プロセスにおいて、広く市民やNGOからのインプットを非常に大事にするようになってきています。その審査の状況も日本の NGO なり市民団体なりが、つぶさに報告してくるようになって、日本がどういう部分を指摘されているのか、どんな人権の問題点があるのかということも公けにされるようになってきているという意味で、日本がこういう国際人権条約に加入していくことの意義は非常に大きいと思います。
    ただ、今のところ立ちおくれているのが国内裁判所での援用というところだと思います。非常に残念ではありますし、この体質は変えていくべきだと思います。この点、先生方にまた後でいろいろと教えていただきながら議論していただきたいと思いますけれども、まず権利を侵害されたと主張する側がやはり使っていくしかないのではないでしょうか。国の反論は、どこまでたっても同じものがかえってくるかもしれませんが、そうやって使っていくことによって、それをマスコミに公表したり世間の人々が注目することによって、そういう手段もあるんだとの認識が少しずつ広がっていけば、裁判所の判断を変えていく契機になっていかないかな、いけばいいなというふうに思います。
    以上、人権の国際的保障がどういうふうに確立してきたかということと、それが日本の国内制度にどういう影響を与えてきたか、そして日本の裁判所が国際人権規範にどういう態度で望んでいるかということについてお話させていただきました。ご静聴ありがとうございました。