あれは私が大学生の時だったのだから、1982年頃のことであるはずだ。
私の行っていた大学では教養課程は松本市、専門課程は上田市と校舎の場所が異なっていた。春休みの間に上田市で住むべくアパートを決めて引っ越しも済ませてあった。
このアパートというのが、まぁ結構来ている代物で、部屋は三畳と六畳の二部屋ながら、風呂はなし、便所はおつりが返ってくるタイプの共同便所。茶色く塗られて古くさい木造のアパートが敷地内に何棟か建っているアパートタイプの長屋みたいな物であった。部屋は上がりがまちの所に小さな台があって、そこにガスコンロが一個置いてあり、隣に石で出来た流しがあった。一体こりゃいつ建てられたんかいなという感じであったが、アパートを決めようとしたのが遅かったために、そこそこの予算で満足できるような所がなかったのである。ちなみにこのアパートの賃貸料は6000円だかなんだかで、当時としても安い部類に入っていた。
春休みの最終日、私は東京からオートバイに乗って上田市のアパートにやってきた。アパートには春休み中の引っ越しで荷物をぶっ込んだだけだったので、アパートの中は惨憺たる有様であった。と言っても、それをきちんと整理しようなどという気には当然なれず、適当に隙間を空けて三畳と六畳の部屋の間にある襖に沿って、六畳の部屋に布団を敷いた。
その日飯をどこで食ったとか、そういうことは忘れてしまったが、明日から新学期が始まると言うことで、いやだなあという気分で眠りについた。どのくらいの時がたったのであろうか? 何となく寝苦しくなってふと目を覚ますと、なんと!襖の向こうで着物を着た女の人が私の布団の枕元の横に立って私を見下ろしているではないか(と言うイメージが頭に浮かんでいた)。うわっと思って気がついたのが、自分が金縛りになっていることであった。こういう時は何とか動いて金縛りを解くにゃアカンと思い、身もだえしていたら金縛りはすーっと取れた。
はぁはぁと息をつきつつ、これだけは絶対にやっておかないといけないと思ったのは、襖の向こう側を確認することであった。イメージしたような人が立っていたらどうしようと思いはもちろんあったが、それよりも確認しないでいつまでもその幻影に惑わされるのはいやだという気持ちが勝った。
そろそろと襖を開けて顔を突き出して見た。幸いにして女の人は立っていなかった。その代わり外の街灯に照らされた木の枝が、影となって揺れながら部屋の中へ窓から差し込んで映り込んでいるのが非常に印象的であった。その風景は今も忘れられない。
金縛りにあった時は寝る場所を変えると遭わなくなる、という話を聞いたことがあったので、すぐに布団の位置を動かした。その後、二度とそのアパートで金縛りに遭うことはなかった。
結局そのアパートからは、ボロさに負けて3ヶ月くらいで引っ越してしまったのであった。別に金縛りに遭って怖かったからではない。
その後、大学の研究室に入った頃に、昔研究室に所属していた学生が卒業論文を完成させることが出来なくて首を吊ったことがあり、そのアパートが私が住んでいたアパートであったと言うことを聞いた。それにしてもその学生は男子学生で、私がイメージしたのは女の人だったんだけれどなあ。
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