コラム7 消えゆく母校

 これほど悲しいものはないのかなぁ……自分が育った、色々な思い出のある小学校、中学校が相ついで統廃合されている。その原因は、子供の少人数化。今の世の中では、当たり前のように子供の数が減っている。よって学校はかっこうの標的となって一つ、また一つ減っていく運命を辿っている。今、小学校では改修工事を行って奇麗にしているそうだが、それを見ているとなんだか、残念のように思えてくる。そんなちょっとおセンチな話し。

 私の通っていた小学校は、家から歩いて、ものの数分で着くくらい近い。家からでも見える距離。これで愛着がないと言えば嘘になる。無論、それは通っていたときからそうだったし、継続されていた。そう、統廃合が決まるまでは。
 もともと、一つの学校だった。それが、いわゆる「ベビーブーム」による子供の増加により、二つに分けたのだ。その頃の人にしてみれば、「また元に戻る」のだろう。だけど私には「一つに纏まっちゃう」ことになるのだ。
 確かに、それは仕方のないことである。小学校で一番重要なのは、子供の数なのだから。私が通っていた時には、学年に3クラスあったのだが、統廃合される少し前は2クラス……しかも1クラスの人数は私の時より10人ほど少ないと聞く。世の中は子供を少なく、もしくは産まない家庭が増えてきているのだから。
 その背景には、勿論不況という文字も入ってくる。不況故に、子供を育てる経済があるのなら、子供を産まないで、その分を生活費にしてしまおうという夫婦が圧倒的に多い(いや、これは偏見だなぁ)。私の家は4人兄弟なので、それは寂しそうだなぁ……としか思えないのですけど。
 そう言えば、「子は鎹」という諺ありますよね。夫婦が喧嘩しても、子供がいるから仲良くしていられる。そんな意味だったような気がするけど。でも、今の家庭にはその「鎹」もない。故に離婚とか多い傾向にあるのかなぁ……って、本題とかけ離れてしまいましたね。

 下校の時刻になると、「下校の時間です……」というアナウンスが流れてきたけど、今は流れていない。それはあと少しで復活するけれど、それでももの寂しい。というか、伝統が受け継がれているのかが心配だったりして。アナウンスの最後に、「明日も元気に、登校しましょう」と入れたのは、私が放送委員だった頃に足したフレーズだから。というか、使っているのか? 今は統合されるもう一つの校舎を使っているので、状況が分からないんですよ。そっちの方になんか行かないし。

 駅まで歩いていくと、工事している校舎を見ることが出来ます。その度に、小学校での出来事が思い出され、そして消えていく。心の奥深いところにしまわれているのに、そんな気さえしてしょうがないです。思い出は大事にしたいなぁ……と思うようになった私は、もう歳をとってしまったのかなぁ。

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