デザートエージェント・さくら 序章

作:妖之佑          

「あ〜あ、ったく、困っちゃったな〜」
 炎天下の砂漠のど真ん中で、カーキー色のフィールド・ジャケット姿の東洋人娘が呟く。
「これで何度目よ!? 売り飛ばすわよ!」
 タイヤを砂に埋もれさせた薄汚れたオリーブ色のドニエプル・サイドカーを睨みつける。本家BMWに手が届かないのが恨めしい。
 その傍らでは、白く大きなものが必死になってスパナとプライヤーを扱っている。
「どう? シロクマくぅん。直りそう?」
 その声に大きくうなずく白いもの。その名のとおり、シロクマである。シロクマが工具を手に、エンジンの修理をしているのだ。
「いちおう、救援依頼してみよーか」
 言いながら、娘はズタ袋の中から大型トランシーヴァーを取り出すと、顔に当てた。
「こちらエージェントNo.K-9173・さくらです。本部、応答願います」
 だが、返事はない。むなしくノイズが聞こえるだけである。
「ダメみたい」
 そうがっかりするさくらに対し、シロクマがチチチッと舌を鳴らした。
「どーせ、だんまり決め込んでるだけ?」
 うんうんとうなずくシロクマ。
「……そーね。人に無理難題押し付けて、あとは知らぬ存ぜぬな所だもんねー、あそこ」
 半ば自虐的に笑うさくら。
 たしかに、いつもいつも受ける任務は無茶なものばかりだ。
 伝説のオアシスを発見せよという指令。苦労して見つけたものの、単にボスが水浴びをしたかったというのが、そのオチだった。
 黄金の蜂蜜酒と五芒星石の眠る古代遺跡の調査では、得体の知れない巨大怪物に襲われ、危うく命を落とすところだった。
 砂漠でかき氷が食べたい――それも宇治金時!――というVIPの注文に応えたこともある。
 そして今回の任務は……。
「こんな砂の海のどこに中日ドラゴンズのファンがいるってのよー」
 巨人ファンならあるいは――などと思うさくらである。
 ――それより、なぜそんな任務がある?
 さくらよりも冷静なシロクマは、修理をしながらそう思っていた。そして、そんな疑問も抱かない相棒に、苦笑もしていた。
「どう? シロクマくぅん。直りそう?」
 さくらが訊く。大きくうなずくシロクマ。だが、その直後に、さくらに顔を向けた。
「え? 最悪の場合も考えておけって?」
 シロクマは親指(?)を立てる仕草をした。
「ヒッチハイク? でも、ここって……」
 そこまで言って気づいた。ここは砂漠の中だが、いちおう道なのである。オンボロの中古車を売り飛ばすために国境を越えて往復する個人業者などが使うのだ。
「しょっちゅう車が通るってワケじゃないけど、用意はしておけってコト?」
 うなずくと、修理に戻るシロクマ。
 それからしばらくして、砂煙が地平線の向こうに現われた。
「来た!」
 さくらは腰を上げ、親指を立てて待った。
 やがて近づいてきたステッカーだらけのド派手なセダンは、そんなさくらを無視して、もの凄い勢いで走り去っていった、さくらの黒髪が砂埃に真っ白になる。
「なによォ、あの車ァ! 前はライトだらけ、屋根はタイヤだらけ、おまけにステッカーベタベタ貼ってェ。趣味悪〜い。バーカ!!」
 ――あれはラリー・カーだよ。遅れて必死になってるんだ。止まる訳がない。
 シロクマは、そう思った、そして、さくらの顔を見た。
「え? あたしの魅力で止めてみろって? でもォ、素肌を出すのは紫外線が怖いよォ」
 しなを作るさくらに対して、焦ってブルブルと首を横に振るシロクマ。紫外線よりも、相手が厳格な宗教者だった場合のほうが、ずっと怖いと言っているのだ。
「そうじゃなくて、芸術性で勝負ぅ? どーゆーこと?」
 キョトンとするさくらの目の前で、シロクマはラジカセを取り出すとスイッチを入れた。古風なワルツが流れてくる。
 うっとりと聴き惚れるシロクマ。
「あたしの踊りで、運転手の目を魅けって?」
 うなずきながら、シロクマは三拍子のままで修理に戻った。
「ダンスには自信ないけど美貌には少し……。ま、やってみますか」
 そして、さくらは、おもむろに踊り始めた。


 ブロォォム!
 走り去るベンツ・トラックの窓から1ディナール紙幣が、ひらひらと舞った。
「あぁんもゥ! 違うってばー。大道芸じゃなくってヒッチハイクだよーっ!!」
 言いながらもきちんとお金は拾う。これで一五台目、7ディナールと525ミリームだ。
「どーして、止まってくれないのォ!?」
 そんなさくらの様子を背中で感じながら、シロクマは笑っている。
 修理に飽きたシロクマにからかわれていることに、まださくらは気づいていない。

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