トワニサクハナ

作:経立章文          

 乾いた空気。赤茶けた地表。草木ひとつ見あたらない荒野。限られたものだけが生きることを許された場所。
 そんな大地に半ば埋もれるようにして、その巨大な物体はあった。
 剣を思わせるような平べったいシルエットの、白い鋼の塊。かつて天空を駆け、さらなる高みへと駆け上がった呪装艦〈天叢雲〉。だがその呪装艦も、今は地表に横たわるのみだ。
 荒野に、影が一つ生まれた。長い首と、力強い二本の足を持つ騎乗トカゲだ。その上にはフード付きのマントを着た人物が乗っていた。
 騎乗トカゲは〈天叢雲〉のすぐそばに止まった。騎手が降り立ち、フードをはねる。現れた顔は六十を過ぎた男のものだった。黒髪には白いものが混じり、顔には皺が刻まれている。苦労と月日を重ねた風貌は老兵のそれだ。
 男は〈天叢雲〉の外壁に触れた。突如、なめらかな表面に長方形の線が走る。それに合わせて外壁が消えた。男よりひと回り大きな入り口が生まれる。
「おかえりなさい」
 艦内に入った男を迎えたのは、背の高い青年だった。
「どうでしたか?」
 静かな声。黒髪に黒い瞳。整った面立ち。よく見れば、目元が男とよく似ていた。
「タケル」男は〈天叢雲〉の制御中枢である精霊結晶の名を呼んだ。「遅かったよ。私が行ったときにはもう、誰の姿もなかった」
「……そうですか」
「彼女はどうしている?」
「相変わらずです」
 二人は艦内を進んでゆく。そして以前は格納庫だった区画へと入った。
 そこには空があった。土があった。そして、花があった。辺り一面を埋め尽くす花の群れ。金属光沢のある菫青色の花が、小さくいくつも纏まって咲いている。霧にかかった様子に似ていることからその名を夕霧草と呼ばれる花。
 艦内とは思えない空間の中心に、奇妙な形をした木が立っていた。細い幹が絡まって、何かを包むように茂っている。
 男とタケルはその木へと近づいていった。二人が起こす大気の流れにも夕霧草たちは反応しない。静かな空間。
 木に包まれるようにして、青白い光の中に一人の女性が立っていた。黒髪の小柄な女性。瞳を閉じ、微動だにしない様子は、まるで良くできた人形のようだ。
「この星に降りたってから四十年間、我々はなにをしていたのだろうな」
 四十年前と変わらぬ恋人の姿を見ながら、男は呟く。星間移民船での事故。多くの犠牲。ようやく降り立ったのは不毛の大地。
 新天地を夢見た人々は、すでにその姿を消し始めていた。
「彼女は、私を恨むだろうか」
 地表に降り立ったとき、男は彼女を目覚めさせなかった。体の弱い彼女が、この地で生きてゆけるとは思えなかったからだ。
 ──この花を、いっぱい咲かせましょうね。
 そう言って微笑んだ彼女の顔が、男の脳裏に浮かんでくる。だが、彼女の好きだった花は大地に根を下ろすことはなかった。呪層力場によって作られたこの疑似空間に咲くのみだ。
 夕霧草──花言葉は「やさしい愛情」。それは彼女が自分に与えてくれたもの。そして自分が彼女に与えることができなかったもの。
 男はタケルを見る。精霊結晶が作り出す結像体。いつか目覚める彼女のために、自分の若い頃に似せている。来るともしれない助けを期待して。
 今でも母船は、衛星軌道上で救難信号を送り続けていた。
「タケル、私も長くは保たないだろう。あとは頼んだぞ」
「……はい」
 男は彼女へと視線を戻した。
 〈停滞〉の呪法により時間を凍結されたこの場所で、彼女は存在し続ける。大好きだった夕霧草と共に。助けが来るその日まで。
 あるいは、ずっと──

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