笹の葉、きらきら

作:桔川木緑          

 遠い昔には、天翔ける鵲もたくさんいて、七夕には無数の鵲が、翼を広げ合い重ね合い、天の川に壮麗な橋を架けたという。
 織姫と彦星は、鵲の橋の両端から駈けより、橋の真ん中辺りで熱い抱擁を交わしたものだ。
 けれども今では、鵲の数もめっきりと減り、そんな大層な橋を架けることも適わない。
 七夕には、彦星が牛の背に乗り、浅瀬を探して天の川を越えてゆく。鵲の出番はない。
 それならせめて、深く愛し合いながらも、年に一度のわずかな時間にしか会えない二人のために、手紙の一つも運んであげよう。
 と、近ごろでは、鵲の若手有志が、二人の思いの詰まった笹の葉型の手紙を咥えて、天の川を度々飛び越えてゆくようになったのだ。

「で、なんであんたはここにいるわけ?」
 安いマンションの三階、ベランダ、その手摺に止まっている尾の長い烏みたいな鳥に、呆れ顔の夏美は投げやりな声をかけていた。
 七月七日の夕方。まだ日は沈んでいないので明るい頃だったが、先ほどから町には夕霧が白く立ち込めていた。
「ですから、彦星様の非常に大事な手紙を織姫様に届けようとしたのですが、深い霧のため、飛ぶに飛べなくなってしまったのです」
 鳥(鵲というらしい)は流暢に語った。
「まあ、濃霧注意報も出てたもんね。って、天の川なら空の上じゃないの?」
「ええ、天の川は空の上です。ですからそれを飛び越えるには、地上近くを飛ばなければならない。子どもでも知ってる常識です」
「あ、そう。ってなんであたしはカラスなんかと話してんだろ」夏美は軽く頭をかかえた。
「私は鵲です。で、協力する気はあるんですか、ないんですか」ここで鵲は強気に出てきた。目が光っている。「この手紙にはきっと大変重要なことが記されいるはずです。これがなければ、今夜お二人は深い霧の中で互いを見つけることができないかもしれません」
「だったら早く飛んでいきなさいよ」
「だから霧で飛べないとさっきから何度も言ってるでしょう。わからない人ですねェ」
「なによ、もォ。なんであたしが――」
「お二人は年に一度しか会えないのです。不憫だとは思いませんか? 気の毒でしょう?普通は同情を禁じえないはずです。手助けをしたいと思うはずです」鵲は畳み掛けてくる。
「あーもォ! あたしにどうしろってのぉ」
「簡単なことです。まず笹を用意する。そして所定の飾り付けなどして、そこに、この笹葉の手紙も結わえる。すると、七夕の魔法とでも申しますか、織姫様に声が届くのです」
「でも、笹なんてどこにあんのよォ?」
「山です。決まってるでしょう」

 鵲を肩に乗っけて、夏美は霧の中自転車を飛ばし、一番近場の小さな山林に分け入った。
 そして、なんであたしがとか、なんでこんな霧の中とか、どうして坂道なのよとか、蚊がうざいのよとか、暑いのよ、などと不平不満を散々垂れながら、曲がりくねった山道を歩き、ようやく見つけた竹林に踏み込んだ。
 土を覆う枯れた竹の葉を踏みしめ、夏美はそびえ立つ青竹どもをカッと睨みつける。
「ねぇ、竹と笹ってどう違うの?」
「細かいことを言えばいろいろあるのですが、まあ、小竹なら似たようなものです。この際それでも構いませんよ」と鵲は嘴で示した。
 誰かが切り残していったのであろう、手ごろなその笹を乱暴にひっ掴むと、夏美はドシドシと山を降りて行った。
 その帰りに、七夕のお供えも欲しいなどと鵲がのたまうので、途中でスーパーにもよってお団子と飾りにする色紙を買って帰った。

 部屋に戻ると、鵲の指導の下、短冊を作り、お飾り用の折り紙をする。そういえば、幼稚園のころ、こんなことしてたなあと夏美がしみじみ思い出していたら。
「昔は、みんなそうして七夕のお祭りをしてくれたものですが、近ごろはとんと見なくなりました。淋しいものですねぇ」鵲がしんみりと言った。本当に淋しそうだ。
「ね、どうして、あたしのとこに来たの?」
「……織姫様に、似ているのです」
「え? ……あたしが……ホント?」
 鵲はきりりと夏美を見つめ、「冗談です」
「をい。」
 などと言ってるうちに、準備もできた。
 笹に五色の紙飾りと短冊を付け、鵲の咥えてきた笹葉の手紙もしっかりと結わえて、ベランダの手摺に縛り付けた。
「これでいいの?」と夏美が振り返ったとき、
 ふっとそよいだ風に、短冊が揺れ、彦星の手紙という笹の葉は、キラキラと輝き始めた。笹の葉に金の文字が次々と浮かびあがり、文となり、文字は一つ一つ、澄んだ音をともなって、宵の蒼い霧を越えて天に飛んでゆく。
 手紙の声が響いた。若い男の明るい声だ。
「ああ、織姫! この一年、君に会えなくてぼくはとても淋しかったよ。でもいよいよ七夕だ! ぼくの牛は元気だ。ぼくも元気だ。乳もたくさん出てる。あ、これは牛のことだ。七夕の今夜は美味しい牛乳をたくさん持っていってあげるよ。いぇい! 君の彦星より」
「…………どのあたりが、重要なのかしら」夏美の冷え切った白眼が、鵲を見据えている。
 息を飲み込んだ鵲は、しばらく逡巡した後、
「カァァァ」と烏の鳴き真似をした。

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