夕暮れの、小さな神社。
「どうかなさいましたか?」
石段に座っていた少年は、急に降ってきた声に驚いて顔を上げる。
中学生くらいの、見知らぬ少女がいた。黒髪を長く伸ばしていて、掃除中なのか竹ぼうきを持っている。
(……あれ? 誰かに似てる?)
「なにか、お困りのようですけど」
軽く首を傾げて、少女が言う。
悩み相談のまねごとだろうか。奇妙な子だと思ったが、ちょうど愚痴りたい気分だったので彼は口を開いた。
「俺には年の離れた弟がいるんだ。重い病気で、今日手術をする。成功率は低い。……死んでしまうかも」
少女は静かに聞いている。
「だから、なんでも願いごと聞いてやるって言ったんだ。そしたら」
彼は空を見上げる。茜色に染まった空。
「あいつ、雪が見たいってさ」
少女がきょとんとする。
「今、春ですよね」
「ああ」
「どう考えても無理ですよ」
あっけない言葉に、少年は苦笑した。無理だということは彼にも分かり切っている。
「そうだな。ただ、あいつのわがままなんて珍しくて。叶えてやりたくて……」
「ふうん」
何を思ったのか、少女は頷いた。
「まあ、いいでしょう。乗ってください」
そう言って差し出されたのは、竹ぼうき。
「は?」
「叶えて差し上げます」
少女はにっこり笑った。
「私、魔女なんです」
あるマンションの屋上。
「いい見晴らしですね。これなら魔法も使いやすいです」
「……」
少年は答える気力もない。
(ほ、ほうきで飛ぶのがこんなに怖いとは思わなかった……)
そんな彼に構わず、少女は空を見上げた。
楽しげに、歌うように呼びかける。
「ほら、おいで――」
ふわ
少年の目の前に、ひとかけらの雪が舞い降りた。
「!」
彼ははっと顔を上げる。
あとからあとから、風に踊る白い雪。
少女が振り返った。柔らかく微笑んで。
「ほら。はやく弟さんのところへ行ってあげたらどうですか?」
「あ……。ああ」
少年は駆けだした。
階段を下りていく足音を聞きながら、少女は再び空を見上げる。
茜から藍色へと変わりつつある空に、ちらちらと優しい白が舞っている。
「名残雪と呼ぶにしても、いささか遅い気はしますが」
少女は笑うように、目を細める。
「ま、いいですよね」
夕暮れの街に雪が降る。
それは季節はずれの、天からの贈り物。
(兄ちゃんだ)
ベットに横たわる男の子の頬に、かすかな笑みが浮かぶ。
日は沈み、すでに深夜と呼べる時間帯。
マンションの屋上で、少女は身じろぎもせず、じっと雪を見つめていた。
ふいに、階段を駆け上がる足音。ほどなくして少年の姿が屋上に現れた。
少女が振り返る。
「おかえりなさい」
――手術はどうでしたか?
その言葉を、彼女は口に出さない。聞くまでもなかった。
少年は笑っていたのだから。
「ありがとう」
息を切らせて、彼はそれだけを告げる。
少女は笑った。すこし照れたように。
「喜んでいただいて、嬉しいです」
白い、白い雪のかけらが風に舞う。ふわりと、魔女の髪に降りる……。
「え?」
少年は瞬いた。
まるで夜に溶け込むように。目の前で、少女の姿が消えてしまったのだ。
雪の止んだ街を、病院に向かって歩く。
途中、彼はふと立ち止まった。シャッターのおりた、DVDレンタルショップの前。
(どうせまだしばらく入院だし、あいつ退屈するだろうな。今度なにか借りようか)
何気なくそんなことを考える。
そう言えば、以前ここで借りたDVDは弟がひどく気に入っていた。確か、魔法使いの女の子が主人公の……。
(魔女?)
はっと、もう一度店を見る。
どうして今まで気づかなかったのか。
あのDVDに出てきた魔女に、彼女はそっくりだったのに――
|