Ascalon 日常生活編

「おっはよ〜!!小坂くん」
 女の声が店内中に響き渡る。
「――おはよ、聖……今日も元気だなぁ……」
 眠そうな顔で小坂と呼ばれた男――本名、小坂知之は彼女に答えた。
「へっへぇ、それだけがわたしのとりえだもんね」
 そう言うと、セミロングの彼女――橘聖は店の中に入っていった。
 店の名は"フォーカス"と言い、一般的に言うところのカメラ屋である。写真の現像から一眼レフカメラの販売まで、カメラの事なら全般に取り扱っている店である。といっても店主である小坂の趣味で、カメラの大半がライカ製品であるが……
 そんな店で働いている聖……小坂とは高校からの知り合いで、カガク部の部長(聖)と副部長(小坂)の関係である。しかも二人ともカメラが好きだったので、このような仕事を二人で営んでいる。
「聖、奥に行って現像の処理しといてくれないか?」
「はいはい……今日はどれくらい?」
「え〜っと五個だね。APSが一つだけ」
「わかった」
 彼女はそう言うと、奥にすばやく入っていった。
「さて……と。客が来るまでカメラでも磨くか」
 小坂は愛用している゛ライカM−3"を手に取り、布で磨く。と、そんな時暗室から、
『そう言えば小坂くん、今日わたしの父さんが顔を見せるって言ってたけど……』
 聖が小坂に声を掛けた。
「え? あのブルーインパルス部隊にいた?」
『そう……なんでもね、飛行機から撮った写真を現像してもらいたいんだって……しかもポスター状態で。今日電話があったんだ』
「それはそれは……で、なんでうちに来るの? 写真屋なんて今時、数えるほどあるのに」
『さぁ、父さんの考える事は飛行機以外わからないから……』
「――なんだかな……」
『小坂くんはわたしの父さん、嫌いなの?』
「ん? なんで……」
『いや……なんとなくだけどね……』
 ――なんとなくで聞くものか? そういう事は……
 ライカを磨きながら、小坂は心の中でそう呟いた。

「聖……出来たか?」
 小一時間後、小坂は奥の暗室に向かって声を掛けた。が、返答がなく、小坂は首を傾げた。
「ひじ……り?」
 小坂は暗室の扉を開ける。赤暗いそこには聖はいなかった。
「――もしか、して……?」
 呟いたそのとき、店の上の方から……
 ――ドーン!!……
 なにかの爆発音が聞こえてきた。小坂はそれを聞いて、呆れ顔になった。
「――またか……現像が終わるとすぐ上に行くんだからな」
 そう言うや否や、小坂は暗室の奥にある階段を上って二階の部屋に入る。そこは実験室になっていて、薬品が沢山並べられている。
 見ると部屋の真ん中でガスマスクをしながら黒煙をあげている聖がたたずんでいた。
「あ……あははははははは……またやっちゃった」
 笑いながら小坂に告げる聖。小坂は呆れて、溜め息を吐いた。
「あはははは……って、何回やれば気がすむんだ?」
「わかんない」
「わかんないって……俺でもそんなにやらんぞ? それにここで調合するな。やるのなら基地の方でやってくれ。そうでないと、この部屋が壊れてしまう……それにおれも向こうで作ってる」
「そだね……ゴメンなさい」
 小さい口から舌を出す聖。
「――で? 今日は何を作っていたんだ」
「え〜っとね……TNTとクロロホルムを混合させて、爆発させた時に爆風を浴びた者は眠くなる、っていうオリジナルの奴。でもTNTを多過ぎちゃって暴発しちゃった」
 笑顔で告げる聖。反省と言う二文字がまったく見えない。
「またかい……高校の時からそうだよな、お前は。よく死なないよな」
「コツがあるのよ、コツが」
「どんなコツがあるんだ? 教えてくれ」
「えっとねぇ、先ずは足場を固めて……次に祈る」
「――念のために聞いとくが、なにに祈るんだ?」
「父さんに母さん、それに……」
「――それに?」
「内緒……」
 即答する聖。小坂は呆れて、
「だろうと思った。お前の事だから教えないとな」
「だって、小坂くんの前じゃ言えないもの」
「なんだ? それは……おれをからかってるのか? まぁいい。で、さっきの続きは?」
「さっきの続き?」
「とぼけるな! コツのことだ、コツの」
「あ、あ〜! そのことね。あれはあそこで終わり……」
「は?」
 間の抜けた声をだす小坂。
「ただの願かけよ、そんなの」
「――さいですか……」
 呆然とする小坂がそこにあった。と、その時……
『すいませ〜ん。現像を頼んだ佐々木ですが〜!!』
 下の店からお客の声が届いた。
「さ、いくぞ。聖……顔を拭いてからな……」
「――は〜い……」
 聖は素直に小坂の言葉を従った。

 店の裏は海になっており、小坂は大型クルーザーで三浦半島の剱崎から通勤している。聖はと言うと、マツダの”デミオGL−X”5MTに乗って、店の近くにあるアパートから通勤している。ちなみにこの聖の乗っている車は改良が施されている。どこが改良されているのかと言うと、エンジンはほとんどノーマルなのだが、なぜかアナログ無線が搭載してあり、そこからハーネスでスイッチばかりのコンパネに繋がっている。それに後ろの席が潰されていて、丸っきり二人乗り状態……その程度である。
「聖……お前のおやじさんってどうやって此処まで来るんだ?確か宮城県に住んでるんだろ?」
「さぁ……でもわたしの予想だと……」
 ――キュウゥゥゥゥゥゥゥゥン……
 大きなエンジン音で、聖の台詞が途中でかき消された。
「おい、この音……」
「あら、やっぱりこういう登場の仕方だったわね〜」
 素っ気なく言い放つ聖。とりあえず二人で店を出た。見てみると一機の戦闘機、T2ジェットが止まっていた。中から一人の中年のおじさんが降りてきて、
「ひ〜じ〜り〜!! 久しぶりだな」
「父さん、そんなので来るから小坂くんが困ってるじゃないの」
「気にしない気にしない……これに乗っていないと一日が終わらんのだよ。はっはっはぁ!!」
「……………………」
 ――いつ見ても豪快だなぁ。この人は……
 小坂の心の中は、この事で一杯だった。

「へぇ……いい風景ですね」
 ネガを見ながら小坂が呟く。
「流石だねぇ……見る目はあるな」
 しかし、何か不自然なネガだった。上下逆さまになっている。通常はこんな事はない、当たり前だが……
「もしかして……T2から撮ったのですか? しかも逆さ状態で……」
「おぉ、やっぱり分かるかね。見込んだ事だけあるわい。そう、その通りだよ小坂くん。逆さで撮るのは結構身体にくるんだよ……さて、聖は今何処かな?」
 聖の父さんが言うと、いきなり無線が入った。小坂はボタンを押して通話させる。
『――ヤッホー小坂くん……今ねぇ富士山の見えるところ……あ、浜名湖も見えるよ』
「おい、もしかして操縦しながら掛けてるのか?」
『うんそう。イヤホンマイクだからだいじょーぶだよ。父さん聞こえる?』
「あ? あぁ、聞こえるぞ」
『このひこーき頂戴。わたしのナイトファルコンの二番機としてだけど……』
「――ダメ」
『ケチ!! ま、いいけど。ねぇ小坂くん、なんで一緒に乗りに来なかったの?』
「あ……そ、それはだなぁ……って、おい! そうなると店の方はどうするんだよ! うちは俺とお前の二人しか従業員がいないんだぞ!」 『そんなの父さんに任せれば?』
「そんな無責任な事、出来るわけないだろ!!」
『じゃあ臨時休業って事で……』
「……………………」
 ――頭が……
 深い溜め息とともに小坂は頭を抱えた。そうとは知らず聖は、
『さっきの続き。どうして乗りに来なかったの? そう言えば小坂くん、飛行機の免許持ってないわね……どうして?』
「――ぢ……ぢつはだなぁ……高所恐怖症なんだ……」
 小坂はボソボソッと呟く。それを聖は聞き逃さなかった。
『うっそ〜!! 初めて知った〜!!』
 聖はおおげさに驚く。隣にいる聖の父さんは、
「――見損なったぞ、小坂くん」
 とか何とか言って目が笑っていた。
『それなら父さんに直してもらえば?』
「ほぉ、それは名案だ……小坂くん、一緒にうちに来ないかい? 鍛えてあげるぞ」
「――死んでも嫌です……」
 小坂はあくまで静かに、二人にそう告げた。

 陽も西に沈みかけ、そろそろ時計は五時を差そうとしている。聖の父さんはとっくに帰り、伸ばしたばかりのポスターをホクホク顔で持っていった。
「あ〜あ……空の散歩って気持ちいいんだけどなぁ。特に夕方……」
 聖が小坂を見ながらぼやく。それを聞いて小坂は、
「あのなぁ、人の苦手な事を無理矢理押しつけるな。ただでさえ周りの人間に押しつけられてるんだから……」
「それは、宮川くんとサヤカさんのことですか?」
「勿論!!」
 小坂はキッパリと答えた。続けて、
「あと、堀内とシェーンの二人もなんだかんだ言って俺に押しつけやがるんだよな……俺がバックアップだって言うのを逆手にとって……」
「荒れてますねぇ、お兄さん……」
 と、簡単に受け流す聖。
「此処だから言えるんだけどな……あ、聖。この事内緒にしてくれないか? バレたらボタン一つで銀行の残高がゼロになってしまう」
「――もう手遅れ……って言ったらどうする?」
「――え?……」
 聖の言っている意味が分からず、聞き返す小坂。と、その時……
 ――ガラッ……
「こ〜さ〜か〜く〜ん〜……何か言ったかなぁ?」
「げ……サヤカ……さん。それに宮川……どうして此処に?」
「あん? 今日写真を取りに行くって言わなかったっけか?」
「あ……すっかりわすれてた……」
「――ボーケ……」
 サヤカの突っ込みに何も言えない小坂。
「ま……まぁまぁ、これはこの辺にして。宮川くん、これ……」
 と聖は、宮川に写真の入った紙袋を渡した。
「お……ありがと、聖ちゃん……」
「――ボソッ……写真の構成がなってないよな〜……」
「何か言ったか? 小坂……」
「ん? いいやなんにも……」
 後ろで聖が必死の笑いを堪えている。小坂の声が聞こえたのだろう。
「これからどうするんだ?小坂……一緒に飯でも食いに行くか?」
 宮川が問い掛け、小坂は聖と顔を見合わせた。
「ん? いや、まだやる事があるから。な、聖……」
「え……そうなの? 小坂くん……」
「そう……と言うわけだからいけない」
「そうか、分かった。――サヤカ、行くぞ……」
 宮川が翻しながらサヤカを促す。サヤカはその言葉に反応して、
「じゃあね、ヒジリ……あ、ついでにコチャもね……」
 と、小坂と聖に言葉を残す。
 ――俺はついでかい!!……
 拳を強く握りながら、小坂は心の中で叫んでいた。そんな顔を見てか、聖は腹を抱えて笑っていた。小坂に気付かれずに……

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 永い沈黙が続く……
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 いいかげん飽きてくるほど沈黙は続く。
「ねぇ、いつまでやってるの?」
 沈黙を破ったのは聖の一声だった。ドア付近で頭にタオルを巻きながら、小坂に問い掛ける。
「お……なんだ。シャワー浴びたのか?」
 そっけなく言い放つ小坂。続けて、「これが最後……もう少しなんだ」
 小坂は手を動かしながら、真剣に机に向かっている。
 机の上には顕微鏡と試験管、漏斗、ビーカー、火薬、半田ごてに基盤、プラスチックの容器まである。小坂はその中の基盤と半田ごてを用いて、作業を行っている。
「あんまり根詰めすぎないでね……」
「あぁ、分かってる。それより帰らなくてもいいのか? もう十一時回ってるぞ」
「小坂くんだけ残すわけにはいかないわ。それにわたし、一人暮しだから門限関係ないし……」
「そっか。いや、聞いてみただけだ。それより、俺もどうするかな……こんな時間だと船で帰るのも辛いしな。ここで泊まろうかな」
 小坂は続けて、
「まぁいいか。それより聖……此処、どうやればいいと思う?」
 と、聖に問い掛ける。
「え? そうね……此処はこうして、こうすれば……ほら、此処からアンテナに繋げられるでしょ? そうすれば無線から操作出来るわよ」
「あ、な〜る……ありがと。これでなんとか出来そうだよ……そうだ聖、今度一緒に夕飯食べに行かないか? 俺のおごりで」
「え?……別にいいけど何で?」
「いや、たまには息抜きってのもいいだろうと思ってな」
「ふぅん……分かった、わたしとデートしたいんでしょ?」
「――なんか言ったか聖……俺はそんなつもりで誘ったわけじゃないぞ。ただ単に、お前と静かに食事をするのもいいかな……と思っただけだ。それに迷惑掛けてるしな」
「――迷惑掛けまくりじゃないの。あ〜あ……わたしってそんなに魅力ないかしら。それとも小坂くんの目が腐ってるのかなぁ……」
 そう言って聖はタオルを取ってみせた。つややかな濡れ髪が少し重力に逆らって肩の手前まで落ちる。
「聖、そういう事を言うのか? 俺がおごってやるっていうのは年に一度あればいい方だぞ? それを無にしていいのか?」 「え!? そ、それは……前言撤回、行きます。行かせてください……小坂さん」
 …………………………………………
 小坂は目を点にして、聖の翻し方を見つめていた。

 こうして二人の一日が終わる。日常はいつもこんな感じなのだが、それもいつまで続く事やら……
Fin


あとがきめいた物


 ドタバタ系アクション小説……と言った方がいいのでしょうか。中学時代の友人とともに設定、登場人物を上げて、作り上げた作品です。
 余談として、橘聖の声は菅原祥子さんだったりします。これを書いていた当時、私はとき○モにはまっていたので、そんなことを考えていました。何故でしょうか……
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