空色の彼方

 いつからだっけ? 気付いていたら、これが習慣の一つに入っていた。心が落ち着いて、嫌なことも忘れられる。楽しいことは逆に倍になって返ってくるようで、それが嬉しかった。今日もまた、公園のベンチに力を抜いて座った。思い切り背凭れに身を委ね、後ろにひっくりかえりそうになるくらいの伸び。背が伸びきって、緊張が解けたのか、それがやけに心地よかった。今日の雲はイワシ雲。もう秋なのか、とシミジミ季節の移り変わりを肌で感じた。雲の隙間から見える空は蒼く、澄んでいた。ホント、なぜだろうか。空と言う存在は、わたしにとってとても大切な存在なのかもしれない。

 いつからだろう、空が好きになったの。小学生のとき……違う。もう少し前……幼稚園の頃? いや、もっと前……そんな気がする。空を見ているのが好きなんだよ。優しく見守ってくれているみたいで、心が安らぐ。そう、母親のように。よく大地は母なる存在といわれる。しかし、わたしは空のほうが母なる存在だと思う。母親は子供を上から、優しく見守っている。それは、どんなに歳をとっても一緒だと思う。そして、これからもそうだろう。

 見上げていると、優しい陽射しが顔を照らした。心地よい気持ち。胸がスッとして、モヤモヤしていた物が、どこかに飛んでいったような感覚が訪れた。イワシ雲が、いつの間にかどこか遠くへと飛んでいった。上空の方は、地上と違って風が強いらしい。雲が形を崩しながら、それでもわたしの目には一生懸命その姿を保とうとしているように見え、微笑ましかった。その一瞬一瞬で形を変えていく雲もまた、好きだ。季節によって変わりゆく、空という大海を泳ぐ雲が。幼い頃、よく雲の上で遊んでみたいと思ったものだ。

 そうか、空はわたしを童心に帰らせてくれるのか。あの幼かった心に、あの幼かった体に。懐かしい思い出を、空が送ってくれるのか。空からの贈り物が、わたしの心を癒してくれる。いや、わたしだけでなく、みんなに。空はみんなを見守っているから。太陽や月と違って昼でも夜でも、みんなの上から平等に見ているから。だから落ち着くのか。いつから好きなのかという記憶に拘ることはない。今、好きだから落ち着くのだ。

 ベンチを立ち、わたしは前を向いた。大きな空は上だけではない。前を見ても見えるものだ。林立したビルの谷間から覗くイワシ雲が、わたしにエールを送ったように見えた。それは幻かもしれないが、わたしにとってそれほど心強いものはないと、胸中で受け止めて戦場へと向かった。仕事場と言う名の戦場へと……



あとがきめいた物


 これも「作家でごはん!」の鍛錬場に投稿した作品です。テーマは「記憶」です。決して「空」ではありませんよ。
 しかし、会話のない作品ですね。これも一つの表現でしょうか。

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