翔君のお返し

「父さん、お金かして」
 せまい台所で大きい体を動かしている父さんに声をかけた。父さんはなんだかボウルを手にして、一生懸命泡を立てていた。
「どうした翔。今月の小遣い足りないのか?」
 いつきいてもお腹に響く声で、父さんが返してきた。
「うん、まぁそう……」
「なんだ、はっきりしないな。別に貸してもいいが、それなりの理由はあるんだろうな」
「うん……ちょっとお返しに」
「お返し? あ……あ〜、あれか」父さんは何かを思い出したかのように、手を止めてこっちを向いた。「バレンタインのか」
「うん。だからかして」
 そう言って、てのひらを上にしながら父さんに向けた。だけど、父さんの次の一言は予想できなかった。「だめ」
「なんでさ」
「――父さんがお前と同じ頃、そんな物もらえなかったから」
「そんなのただのやっかみじゃんかよ!」
「ということで、頑張れよ」
「ケチ!」
 叫んで、台所を出ようとしたら父さんが「あぁ、そうそう」と口にした。
「知ってるか? バレンタインのお返しって、三倍返しなんだぞ」
「――そうなの?」
「なんだ知らんのか。なら知っておけ。それが礼儀だ……といっても、結局は愛情がこもっていればなんだっていいんだけどな。
 ――母さん! メレンゲ出来たよ〜」
「は〜い」今の方から母さんの声がした。母さんは台所に来て、「ちゃんと七分立てにしてくれた? あら……お父さん、これじゃあ八分立てじゃない」
「え? あぁ、ゴメン母さん。翔と話をしていたら……」
「ま、別にいっか。じゃ、今度はこっちをかき回してくれるかな」
「は〜い」
 そんな両親のやり取りを見ながら、自分の部屋へと向かうことにした。

「でもなぁ……どうしようか」
 ベッドに寝転んで、なにかいい案がないか考えた。そういえば山之内の奴、なんか慌ててオレの頬にキスしたんだよなぁ。そんなのでもいいのかなぁ……
『――バレンタインのお返しって、三倍返しなんだぞ……』
 さっきの父さんの言葉を思い出した。ちょ、ちょっと待って? てことはオレは山之内にキスを三回……え?
 変なことを思いつき、オレはガバッとベッドから跳ね起きた。まったく、まだ胸がドキドキする。
 そんなとき壁に貼ってあった時間割が目に入った。水曜日の五時間目が、体育になっている。
「――そういや、今度の体育サッカーやるっていってたな……」
 そこでふと、あることを思いついた。あいつがキスだったから、これもありだよなぁ。
『翔〜。ケーキ出来たよ〜』
 そんなとき、母さんの声が聞こえてきた。


 体操着に着替えてオレは、いち早く校庭に出てサッカーボールの感触を楽しんだ。まだ誰も校庭にはいない。
「翔……」いつの間に近付いたのか、山之内が横にいた。もちろん山之内も体操着姿……たしか、女子はドッジボールをやるとかいってたっけ。
「お、ちょうどよかった。話したいことがあったんだ」
 オレはボールを浮かして手に取った。そこで山之内の方を見た。
「え、話?」
「この間のお返し。オレ、今日のサッカーで、ハットを決めてやるよ」
「ハット……? って、三点取るやつ?」
 山之内が不思議そうにこっちを見ている。
「ま、見ててくれ。約束する」
 みんなゾロゾロと、校庭に出てきた。そろそろ始まるのだ。
「分かった。見てるね」

 ――ピーッ……
 試合開始の笛が鳴った。オレはボールをもらい、思いついたようにいきなり強くシュートを放った。相手はそんなことするわけないと思っていたのか、オレのいきなりの行動にビックリし、動けなかった。ボールは山なりの線を描き、ゴールへと向かっていた。そして……
 ――パサ……
 ――いや、ホントに入るとは思わなかった……
 そのままボールはゴールネットを揺らして、転々としていた。
 ――ピピーッ
「おいおい! 翔、そんなことしていいと思ってるのか〜?」
 同じサッカークラブに入っている、ゴールキーパーの皆川が近寄ってきた。
「いやぁ……オレも入るとは思わなかった」
「でも、狙ったんだろ?」
「まぁ、ね」
「狙いついでに、ハットでも狙えば? どうせ授業のサッカーなんだし、お前なら出来るだろ」
「そのつもりなんだけどね……」
 そう言って、オレは皆川から離れた。後ろの方で皆川が、「マジで?」と言ったような気がした。
 ――ピーッ……
 相手のキックオフ。さっきのオレのシュートで、勢いよく攻めてくる。ボールをパスで回しながら、うちの陣地の奥まで攻め込んできた。そういや、相手の方には、結構うまい園川がいたんだっけ。
「あいつに出来て、オレに出来ないはずはない!」
 そんなことを口にしながら、園川が攻め上がってくる。ただ、こいつの欠点って、気が短くて、単調になりやすいんだよな。園川はゴールエリア付近までボールを持っていき、ディフェンダーが混戦している中でシュートを放った。しかし、混戦の中で打っただけで勢いのないシュートは、皆川の手の中に収まっていた。
「園川〜。いい加減その癖治したら〜?」
 皆川が笑いながら園川に言った。園川は頭に来たのか、顔を赤くしてその場に立ちすくんでいた。
「お〜い、翔〜。いっくぞ〜!」
 そう言って、皆川がオレにパントキックでパスをしてきた。山なりのボールを胸でトラップして前を振り向くと、相手陣地にはゴールキーパーとディフェンダーの四人しか残っていなかった。
「そいつを止めろ〜!」
 そんな園川の声が耳の中に入ってきた。けど遅い。オレはドリブルで攻め上がり、わずか三人しかいないディフェンダーをかわし、一直線にゴールへと向かった。そして、シュート……
「止めてやる〜!」
 ――ガシッ!
「え?」
 いつの間にか、後ろから園川がスライディングで、オレのシュートを阻もうとしていた。奴の足がオレの足とぶつかり、シュートの体勢が大きく崩れた。でも、オレはそのまま強引に、つま先でシュートを放った。ボールはキーパーの横を抜け、ゴールのネットを揺ら……さなかった。解れていた部分から、ボールが抜けてしまったのだ。
「あっ!」
 ――ボコッ!
「ゆ、ゆきの〜!!」
「だいじょ〜ぶ〜!?」
 女子の騒ぐ声が、こちらにも聞こえた。ゴールの向こうでドッジボールをしていた女子の方に、ボールが飛んでいって、最悪にもそれが山之内にまともに当たってしまい、そのまま倒れたのだ。
「コラー、羽場〜! 早く山之内を介抱してやらんか〜!」
 そ、そうだった。オレはすぐさま山之内の方にかけよると、気絶していた。何とかオレは、保健室へと運ぶことにした。


「う……う〜ん。あれぇ、ここは?」
 気がついたのか、山之内はベッドの上で上半身を起こし、辺りを見渡した。保健室には、オレ以外、誰もいない。
「気が、ついたか?」
「あれ? 翔……わたし、どうしたの? なんで保健室にいるの?」
「いや……オレのシュートがお前に当たっちゃって……その……」
 オレは山之内をまともに見ることが出来ず、イスでクルッと回って背中を向けた。
「あ……あれ、翔が蹴ったボールだったの?」
「……ゴメン!」
「そんな。謝らなくてもいいよ。だって翔がわざと人に当てるなんてしないでしょ? 私の方こそ……」そこで山之内が言葉を切った。「私の方こそ、翔のシュートを見ていれば、こんな事にならなかったのに……」
「そんな! 女子だってドッジボールやっていたんだろ? それにオレがトゥキックでシュートしなきゃ、あんなに勢いよく行かなかったはずなんだ!」
「――優しいね、翔……」
「そんなことない。それに、約束をやぶった」
 オレは手を強く握って、うつむいた。
「え?」
「ハットトリック、決められなかった……」
「気にしなくていいよ。だって、始めのシュートを見たとき、私……感動したもん。あれだけで、十分だって」
 優しく山之内が、オレに返した。が、
「いや、三点取りたかったんだ」
「どうして?」
「昨日父さんに、『バレンタインのお返しは三倍だ』なんて言われたから……その……」
「それこそ、気にしなくていいよ。あの始めのシュートだけで、三倍はもらったから……ね、それでいいでしょ?」
「――いいのか?」顔を上げ、口にした。
「うん。それでも納得しないんだったら…………キスして……」
「え……?」とっさに振り向き、山之内の顔をのぞき込んだ。山之内は目を閉じていた。
「――山之内……」
 オレはそんな山之内の顔に引き寄せられるように、顔を近づけて……

 ――ガラッ!

『どわぁ!?』
「いよぅ、少年少女! 元気に青春やってるかい?」
 いきなり部屋の戸が開いて、女の保健の先生が入ってきた。
「な、な、な……!」
「ん? どうした二人とも。そんなに慌てて。はは〜ん、誰もいないところで変なことしようとしていたな? 駄目だぞ、そんなことしちゃ。私だってまだ経験したことないのに……」先生はなにやら目をつぶりながら話をしている。その間にオレらはさっさと退散することにした。「あれ? もういいのか?」
「大丈夫です! さよなら!」
 そう言って保健室を出た。


『――はぁ〜、ビックリした〜……』
 二人同時にそう言ってしまった。お互い顔を上げて、必死になって笑いをこらえようとした。が、とうとう我慢できなくなった。
「ぷ……ぷはははははは!」
「く、くくくくくくく!」
 止められなかった。なんでだろう。別に面白かったわけじゃないのに……
 なんとか笑いが止まって、目にたまった涙を拭ってからオレは山之内に、手をさしのべた。
「――一緒に帰ろ……」
「うん!」
 そういって山之内はオレの手を握り、教室へと向かった。カバンと、体操着を着替えに……



あとがきめいた物


と、いうことで……お返しエピソードです。こんなつもりにはならなかったんだけどなぁ……結局、こんなお話になってしまいました。
自分で書いていて、「こいつらホントに小学生?」と思ってしまいました。だって、翔が大人びてるんだもん! しかもサッカー用語使っているし〜(泣)
ということで、その辺の突っ込みは……絶対来そうなので、勘弁して下さい。

Novels