Twin Shock Trial 1988 in Tanazawa
 1989年だと思うが、ツインショックトライアルに一回だけ参戦したことがある。(その後、その競技の様子を撮影したビデオテープが出てきて、そこには1988年6月12日ジャパンカップツインショックトライアル第2戦丹沢トライアルパークと書かれていた。ということは走っている様子も出ているんだろうけれど、なんせフォーマットが8mmビデオで対応するビデオデッキを持っていないから、見ることもままならない。2003年3月22日加筆訂正)
 1983年頃に縁を伝って購入したホンダバイアルスTL125を、前日の夜までかかって競技仕様に仕立て上げての参戦であった。マフラーなんぞは完全な手作りで、ろくな工作機械もないのにアルミ板を切ったり曲げたりして弁当箱みたいな代物になってしまった。音もなんだかへんてこなペケペケというもので、お世辞にもよい音とは言えなかった。
 当日は朝から雨で気が滅入ったが、基本的にトライアルは雨が降ろうが槍が降ろうがやるというもんはやるので、雨に濡れながらの競技であった。カッパくらい着ればいいのにと今になって思うのだが、当時はそんなに金回りもよくなかったので、ちゃんとしたカッパなんか持っていなかったのだろう。
 古いアルバムを引っ張り出してみていたら、そんな写真が出てきたので、ここに載せることとする。自分が写っているんだから、自分で撮った写真でないことは明白なんだけれど、今となっては誰が撮ってくれたのだかさっぱり思い出せない。その時現場にいたのは、兄、結婚前の元妻、友人のS氏、おなじく友人のO氏で、全員カメラを持っていたから、それらのうちのどれかなのだろう。
 ツインショックトライアルの会場は神奈川県秦野市のトライアルパークであった。このパークはなかなかよかったが、このツインショックトライアルの直ぐ後に閉鎖されたと記憶している。
 車検場所に保管された競技車両。いろんなバイクがあるけれど、TLR200みたいな比較的新しいバイクも多かった。
 警察関係の方々が、大挙して新しいTL125で参戦していたことが記憶に残っている。
 結婚前の元妻が撮った写真。ツインショックトライアルの写真の中では一番かっこよく撮れていた。当時はエディ・ルジャーンを気どって、サングラスを常に使用していた。
 後ろの川の向こうに写っている二人の人物のうち右側が兄、左側がO氏である。
 川の縁にセクションテープが張ってあるから、多分川全体がセクションになっているのだろう。
 スズキRL250と自分のバイアルス。このスズキRL250は、多分下の写真に写っている村岡ジッタ氏が乗っていたもの。その本当の持ち主は、昔入り浸っていた模型屋の主人が所有していたバイクであったはずである。
 岩を乗り越えるわたくし。へっぴり腰である。
 近くで見ているのは村岡ジッタ氏。
 彼はモータージャーナリストで、トライアルもうまく、おまけに近所に住んでいたが、この頃は知り合いではなかった。しかし、その後知り合いとなり、その関係は今も続いている。
 そういう人がこの写真に写っているということになんか因縁を感じてしまう。
 急なダウンヒルにさしかかるわたくし。後ろの人物の右側が結婚前の元妻。左側が友人のS氏。
 バイアルスのブレーキは貧弱で、こういうヌタヌタの下りは非常におっかなかった。
 へっぴり腰で走るわたくし。
 ブーツの後ろの小さな三角形のものが、切り張り細工で作ったマフラー。リアサスはホンダショップ和光というところで投げ売りされていたホンダイーハトーブのもの。
 タンクも同様に和光で購入したHRC製のアルミタンク。
 オフキャンバーターンを曲るわたくし。へっぴり腰と言うか、腰がターンの外側に全然出ていないし、バイクが傾いていない。はっきり言って下手くそなのである。バイクのせいであるとは、とても言えない。

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