1 戦闘をしているのに、何故か違和感を覚えずにはいられなかった。冷静にその違和感を探ってみる……のだが、 「ダリャアァァァァァ!!」 いかんせん、隣りの女がうるさくて、集中を途切れさせてくれる。戦ってくれているのには、越した事はないのだが。祐はフッとため息吐くと瞬間、疑問符を浮かべた。 ――はて? 引っ掛かる物があるんだが…… ステアを巧みに操りながら、周囲を見渡す。と、空の向こう……正確に言えば、空が黒く縁取られ、段々とそれが拡大していくではないか。一体どう言う事なんだ?隣りで応戦している彼女に聞いてもどうせ、そんなの知らない!! の一点張りだと思う。とはいえ、気味が悪いのは身体で感じている。 「祐、手伝って!!」相棒の声に反応し、仕方なくサイドポケットに仕込んであった不格好な折り畳み式ボウガン――上に長方体の物質が着いている――を右手で持つ。ボタン一つで弓を広げ、開け放していたウィンドウにそれを置くと祐は、思い切ってトリガを弾いた。 ――スンッ!! 矢が射出され、それは横から迫って来ていた相手ホヴァーのフロントガラスを突き破った。粉々に砕けたガラスが邪魔になり、ホヴァーは制御不能となる。近くにいた他のホヴァーとぶつかり、爆破した。 それと同時にボウガンの上に着いた長方体の中から、次の矢が装填された。半自動弓銃<セミオートマチックボウガン>――とある誰かから譲り受けたそれは、たった五本しかカートリッジにストックされないのだが、連続射出が可能なので使い勝手が非常によかった。彼の気に入っている武器の一つである。 「まず、ひとつ」 祐は淡々に言うと、左手でステアを左に切り、推進ファンをいきなり止める。慣性で前進しながらの百八十度方向転換をピタリと決めてたつ。目の前は数えるほどのホヴァー。僅かに口端を上げながら、祐は相棒に確認をとった。 「いくぞ、禾奈」 「いつでもどーぞ!!」ホヴァーに掴まりながら、笑みで返す禾奈。 その言葉を合図に、祐は全速前進!! と同時に右手のボウガンを中に引っ込め、グリップにある止め金を親指で押す。祐はグリップの後ろに飛び出した、握る事の可能な場所を引っこ抜く。するとそこからは眩しく銀に輝く刃が覗かせた。仕込み刀と言う、古来から伝わる護身具をボウガンに忍ばしていたのである。 ――この刀の切れ味、他のとは少し違うぞ…… 小太刀のそれを打ったのは祐の祖父、彦野源蔵である。彦野家は代々伝わる刀鍛冶師で、その歴史は室町時代にまで遡る。粗悪品の"数打ち"で有名な室町刀の中で、"限定打ち"で銘刀を打っていた彦野家は、その影で血に飢えた刀も打っていたと言う。その数、指で数える程なのだが、その刀たちは裏の日本を暗躍している。そして、彼の持っている小太刀は、そう言った技術を折り込まれた刀の一つにすぎなかったりする。 祐はインパネに着いているレバースイッチを下に入れ、自動操縦モードに切り替え、自身はルーフに身を乗り出した。 「――疾風!!」 叫ぶのと同時に、祐は小太刀を横一文字に空を切り裂いた。祐は残心のまま遠くを見つめ、向かい来るホヴァーの通り過ぎていく様を横目で感じた。一団が過ぎてまもなく、悲鳴と爆音が調和し合い、辺り一面は熱気に包まれた。 「――刀鍛冶師って、刀を扱うのも巧いの?」 「まぁ、刀について一から教えられるからな。重心の場所、握り具合、色々の面を身体に焼きつけないと鍛冶は勤まらんな」 「ふ〜ん、そんなもんなのか。ま、それはさておき。敵さんもあと僅かだし、もうひと踏んばりしますか」 笑顔の絶えない彼女を見て、祐は何故か心を綻ばした――のだが…… 「ねぇ、ちょっと変じゃない?」禾奈が口ずさむ。 「確かに。殺気がないと言うか、気配がないと言うか……」 二人は振り向き、先ほど祐が一掃したホヴァーを見つめ直した――!! 『な、なんだぁ!?』 二人は揃って大声――と言うか、絶叫に近いが――を上げた。 その目の前にはゾンビとも言える、人が朽ち果てた、魑魅魍魎と言わんばかりの格好をした者どもが、こちらを向いているではないか!! 彼ら(?)は二人の方に向き、口々に「我が魂を返せ!」「我が父を殺してもまだ足りぬのか!」等とチンプンカンプンな事を言ってくる。 「な……何なの、こいつ等!?」 顔を蒼白にしながら禾奈が疑問を投げかける。が、誰も答えなど知らない。知っているのはただ一つ。得体の知れない物が目の前にいる。ただそれだけである。 「――ゾンビ? いや、そんな事はない。ゾンビはかつての三界戦で、その作り方のレシピが……」 「レシピって言わないで……」 頬を掻きながら間髪入れずに禾奈が突っ込む。 「ヴードゥーの存在も今はない。不可思議な事だぞ、こいつは」 眉をひそめながらぼやく。隣りに座る禾奈にとって、何が何だかさっぱりと分からないらしく、ウーウー唸っている。 「どの道、こいつ等を倒さなければミスカティアに戻れないんでしょ? だったら答えは簡単じゃないの」 「そうだが……」言葉が詰まる。こいつのお気楽さにでもたまには乗るか。祐は割り切って続けた。「よし。じゃあまた突っ込むぞ。そのかわり、確実に奴等のどたまを狙っていけよ」 「りょーかい!!」禾奈は嬉々としながらホルスターに仕舞っていた半自動小銃と拳銃を両手に携える。気分的にはテンガロンハットか何かを被りたいんだけどね。禾奈は心ではそんな事を考えていた。 「突っ込むぞ!!」 祐はアクセルを床まで踏み抜き、全速力で件の連中に突っ込む。のだが…… ――シュン! 一瞬の出来事。煙で出来ていたのかと思うような感覚で、それらは消えていなくなった。そう、何事もなかったかの様に。 「――な……!!」 絶句しながら、二人は呆然とした。なんだったんだ? 一体…… 信じられない光景を目の当たりにし、ホヴァーをミスカティアに収容されてからもホヴァーから出ずに、未だに二人は頭を悩ませていた。 「オイオイ、どうしたんだい? 二人揃って」 飛燕が気軽に声をかけてくる。が、二人はそんな気分ではない。 「――いきなり、消えたわよね……」 「あぁ、見間違いではないな」 ブツブツと二人だけで会話を交わし、それが飛燕には不気味に見えた。 「何かあったんか?」事を切らして飛燕は尋ねるが、まったく持って反応がない。「駄目だこりゃ……」肩をすくめて二人から離れた。 「どっかしたの? あの二人……」 労いに来たのか、香苗がドックの中に入って飛燕に声をかける。 「さぁ……分からん。それにしてもさっきのこいつ等の行動も、訳が分からんかったな」 「そうね、何もない所に全速力で突っ込むなんて、普通じゃないし」 その言葉を聞いたのか、祐はハッとして香苗に顔を向けた。 「どう言う事だ? それは……」 「どうもこうも、そのまんまの意味だけど。もしかして、二人には何か見えたの?」 「えぇ……あれは多分、ゾンビ……」 「まさか。ゾンビなんて今は存在しないじゃないの。過去の産物だわ」 禾奈の言葉に香苗は顔を左右に振りながら答える。と、横の、顔を蒼白にしている飛燕に目を向けた。「何してんの? フェイ」 「俺、その手の話し苦手なんだ……」彼は次第に肩まで震えてきている。情けない……香苗の顔には、そんな言葉が浮き上がっていた。 「――だけど実際に見たんだ、この目で。それで、いきなり消えた」 「ま、何か幻覚でも見たんじゃないの?」香苗は軽くいなした。確かにそうかもな。祐は心の中でそう呟いた。 『――彦野祐と、渡辺禾奈。以上の二人はオペレーションルームまで来る事。繰り返す、……』 全艦放送でお呼びがかかる。二人は顔を見合わせて、仕方ないと言う顔つきでドックから出て行った。 空は原因不明の黒い物に覆われて、太陽すらも隠れてしまっている。辺りは完璧な暗闇とまではいかないが、世界をドス暗いセピア色に染め上げている。 「と、言う事はですよ。今、俺たちが目の前で見た物ってのは、天魔法の影響だと言う事ですか?」 「そうなりますね……喜多見さんの話しによるとですが」 オペレーションルームの中。祐と禾奈と瀬奈、それに中野が対面しあって話し合っている。中野はどうも、先程の祐たちの行動が気にかかって、呼び出したらしい。 そして、中野の――正確には瀬奈の思う通り、それが天魔法の影響だったと言う事だ。だが、どうにも祐には腑に落ちなかった。 何故そんな事が瀬奈に分かるのか? さっき本人が言っていたけど、本当に両親が研究をしていただけで、詳しく知っているものなのか? 疑問が疑問を呼んでいた。 「で、これからどうするんですか? チーフ」 祐をよそに、禾奈が今後の事について求めた。 「そうですね。無理に何かをするって訳にもいきませんが、この状態を打開しなくてはいけませんし……」少し空を見つめ、続けた。 「いっその事、二班に分けて別々行動でやってみますか?」 中野のその顔は何故か、お気楽と言う言葉が似合っていた。 "鳳凰"内、ブリッジ。小林は今の戦闘を自室で一部始終見届けてから、梶野に呼び出された。 「――何でしょうか? 用件と言うのは」小林は扉を背に口を開く。その言葉はまるで、ナイフの様な鋭さが感じられる。しかし、梶野は落ちついていた。顔に波紋すら広がっていない。 「来ましたか、小林准尉。話しと言うのは他でもない。あなたのディルスを貸していただきたい」 その言葉に小林は眉間に皺を寄せた。 「――何故ですか?」目を逸らさずに言い放つ。 「無論、戦力として扱うのです。あなたの素晴らしいモルモット達を」 眼鏡の奥の瞳は、鈍く濁っていた。こういう男なんだ、梶野って奴は。口にせず、胸中で罵声を上げていた。 「――准尉は本当に素晴らしい。"パンドラ"の勢力を復権してくれそうで、ゾッとするくらいだ。ハハハッ、嬉しいよ。我が艦隊にそんな優秀な人材が存在するなんて……わたしの鼻が高いよ!!」 声を荒らげながら、梶野は興奮していた。どこか頭の回路がイカレたんじゃないのかと思うくらいに、目が血走っていた。 ――く、狂っている!? 欲望に満ちた男は、先程の戦闘でどうかしたのか? それともこれが本能なのか? 小林には理解が出来なかった。 「――中佐!!」 「お……おぉ、小林准尉ではないか?どうしたんだ一体。何故此処にいるんだ?」 焦点の合っていない目は、異常と言っていいほど充血していた。口からは涎がダラダラと溢れ、服の襟に染み込んでいった。 ――ガウンッガウンッ!! 背後からの銃声。振り返る事も出来ず、目の前に立っていた梶野が一瞬にして壁に激突していた。肩と胸に弾痕があり、鮮血がそこからほとばしる。 「瑠花くん、大丈夫か?」 「――村井少佐!?」振り向くと、デザートイーグルを片手で構えている村井が背後にいた。 「何故……何故梶野中佐を撃ったんですか!!」小林は村井に詰め寄った。 「――幻だからだ」 「え?」 小林はその言葉を理解できず、肩越しで梶野を覗き込んだ。すると梶野は、不気味な笑みを零しながら背景と同化していくではないか。小林はそれを目の当たりにして、自分の目を疑った。こんな事があっていいの? 「こ、これは……?」 「多分、天魔法だろう。なに、心配ない。梶野は無事だ」 「――天魔法って……話では聞いた事ありますけど、そんなもの、この世に存在するんですか? わたしには信じられません」若い科学者にとって、信じられない光景である。 「だが現に、目の前でこのような現象が起きた事は、事実に過ぎん」 静かに口を動かす。歴戦の者にとって、これくらいの事では眉をピクリとも動かさない。 「さて、行くとするか。瑠花くん、一緒に行くぞ……」 「何処に行くんですか?」 「――ついてくれば分かる……」 そう言って村井は踵を返し、扉を潜った。 村井の歩調は、意外に足早だった。始めの方は軽やかだったのだが、段々と足が重く伸しかかってきた。何度弱音を吐こうか迷ったが、村井の足を見て、今はそんな事で弱音は吐けないのだと、小林は痛感した。そう、彼は跛引いていたのだ。そんな身体に鞭を入れてまで、わたしを導いてくれているのだと心に言い聞かせ、唇を硬く結んで初老の背を追った。 「何で右足を跛引いているのか、気になっているんだろう」 若い科学者はドキッとした。確かにその通りだった。その足で導いている云々より、その足になった経緯が知りたかった。小林は素直に「えぇ」と答えた。 「これはな、二十五年前にお前の父、小林康介にやられたんだよ」 「!!」 戦慄が身体に走った。こんな所で思い出のない、父の名を聞けるとは思わなかった。 「父を……父の事を知っているんですか!?」 村井の背に向かって、焦りとも言える声色で問いかけた。物心ついていた時にはすでに父はいなかった。だから、父がどんな人だったのか聞きたい。 「――そうか、知らなかったのか」 「そこまで言っといて、もったいぶるんですか?少佐」 その一言が、村井の心に懐かしさを感じさせた。 「フフッ……似とるな、その口調」 「父に、ですか?」分からず、適当に言ってみる。 「いや、わしの娘にだよ」 「それってどういう……う、そ……」 途中まで言いかけて、ある事に気付いた。小林は目を丸くして両手で口を覆った。 「もしかして、お爺さん、なの?……」 その言葉は途切れ途切れながらも、しっかりとしていた。無理もないだろう。心の支えになっていた人が、自分の祖父だなんて誰が想像できるだろうか。少なくとも、小林には予想すらつかなかった。 「初めて瑠花くんの顔を見た時、正直驚いたよ。まさか、久美が此処に来るとは思わなかったからな。それほど似ていたんだよ、君は」 足取りを緩めず、口を動かす。どう表現したらいいのか、彼女には分からなかった。あやふやな事だけが、頭の中に犇めきあっている。ようやく整理しきると、口をゆっくりと開き、祖父の背に向かって問いかけた。 「どうして、肉親だと言う事を隠していたんですか?」 「別に隠していたわけではない。時を待っとったんだよ。初めて会った人間にいきなり、実はわしがお前の爺さんだ、なんて事言えるか? 理解しあい、心にゆとりが出来た時に本当は言いたかったんだよ」 「そんな……七歳の時、母が亡くなって以来、わたしは肉親がもういないのかと思っていたのに…………なんだか、みんなに騙されたみたいで嫌です」 気付くと、鼻をすすっていた。まぶたから熱い物も零している。辛い時に誰にも支えてもらえなかった幼い頃。自分の中に閉じこもりがちになって、友人すらろくにいない。時には自分以外の人間が怖くて仕方がなかった。怖くて逃げ出したくて、でも逃げられなく、やがて自分を追い込んでいく形になっていく。 そして、段々そう言う生活に慣れていく自分も嫌いだった。慣れて無言になり、でも心のどこかで寄り所を探そうとしている、あつかましい自分が。そうか、そんな自分だったから、"パンドラ"に誘われたのか。まだ、癒えていない心が、そう言う隙を作っていたんだ…… 彼女の足が止まった。立ちすくんで、号泣した。自分の祖父が目の前にいるからなのか、遠慮と言う言葉を喪失して、彼女は思い切って泣いた。 「――すまなかった。君の事を考えられなくて……」 深く詫びながら、村井は振り向き、頭を撫でてやった。心地よい、久しぶりの温もりを小林は浸った。 とりあえず、天魔法班と状況把握班に分かれる事になったミスカティアのクルー達。要約すると、天魔法を研究する班と、この状況をどうやって打開するか考える班という、極めて分かりやすいネーミングである。ちなみに名付けたのは禾奈だったりする。 「別にいいけど。んで、これからどうする? 天魔法の事はあまり詳しくないんだけど……」 こちらは天魔法班。メンバーは祐、香苗、瀬奈、櫟、そして事務職についている人間、計十数人である。場所は食堂。実はこの舟には会議室と言うものが存在しない。ちなみに状況把握班は、オペレーションルームに集まっている。 そんな中、祐はこの決定されたメンバーに憮然としながら――と言っても、黙っているわけではないが――、自分が天魔法について素人だと言う事を述べた。 「拗ねないの、祐。禾奈と一緒じゃないからってね。たまにはパートナーを変えてみたらどう?」 と、香苗が祐を茶化す。この年の女子は色恋沙汰に過敏だ。何でもそう言う風に捕らえたがる。例外はいるが…… 「あのな……別に俺は禾奈と一緒じゃなくちゃいけないなんて、一言も言ってないぞ?」 「反論する所が怪しい……」 眼を細めながら微笑む香苗。それがやけに不気味に見えるのは、気のせいだろうか…… 「――勝手にしろ。んで? 天魔法の事なんだが、この中で詳しいのは……瀬奈だけか?」 「多分……」 「そじゃない?」 「だと思います」 「さぁ」 皆それぞれに口を揃えて、答えバラバラ。祐は頭痛を覚えて、もういいと怒鳴り上げたかったが、ここは一つ深呼吸して我慢した。 「――瀬奈だとしよう。で、何か分かっている事はないかな?」 「は、はい」呼ばれて立ち上がり、ホワイトボードの前に立った。 「天魔法と言うのは天界と魔界の住人、若しくはそれらの者に契りを交わした者でなければ、使用は出来ないのです。つまりは……」 「つまり、天界と魔界の住人が現在、この場所に存在している……という事だな。まぁ、それは俺でもある程度は予想出来る」 「そうです。あとはですね、今現在の時間が進んでいないんですよ。その点から何か別の空間に――例えば夢の中とか、時空間、亜空間が挙げられますが、その中にわたし達は閉じ込められたのだと考えられます」 瀬奈は言いながら、ホワイトボードに書き込んでいった。そんな瀬奈の言葉に皆、息を飲んだ。深刻な顔つきでボードの方を見入る。 「質問ですけど」 手を挙げたのは櫟。シズシズと、肩の高さまでしか手を挙げていない。 「なんでしょう?」瀬奈は櫟を見ながら返事した。 「あの、その空間から出るには、どうしたらいいのですか?」 確かにその方法が分からないと、何をどうすればいいのか行動を起こす事が出来ない。皆、瀬奈に視線を集める。 「それは二通りあります」瀬奈は右手の指を二本立て、そのまま続けた。「一つは術を中和させる事。あともう一つは術者を元の世界に戻す事ですね」 「術者を倒すってのは?」香苗が大きく手を振りながら挙げた。 「まぁ、それもありますけど。ただ、天魔法がそのまま残ってしまう物もあるんですよ。その点から、確実性のある二つの方法が一番だと思います。 それでですね。先程挙げた空間の中で、亜空間だけは省いて下さい。亜空間と言うのは、天界、魔界において扱える者はいません。そもそも亜空間は、ブラックホール等の歪曲部につながる、いわばワームホールでして、天魔法の範囲ではないのです」 「噂で、ダークドラゴンが使うとかって聞いた事があるけど?」 事務の人間が疑問を語る。 「ダークドラゴンは使うのではなく、利用するだけです」 「ま、省く理由が分かった所で……実際、俺たちは何をすればいいのか、という疑問を抱いているわけだ」 「あら、それは向こうの班のやる事ではないのですか?」 櫟に言われ、祐は首を傾げながら天を見つめた。あぁそうか、と呟いてから手を叩いた。 「――やっぱり、向こうの方がよかったんじゃないの?」 香苗の空かさずの突っ込み。その一言が、緊張したこの場を和らげたのは、言うまでもないのだろうか。 「と、とりあえず一服しよう……」 「あ、紅くなってんの。か〜わいっ」 その言葉を鼓膜に打ちながら、祐は周りを見た。今まで気付かなかったけど、ぢつは男って俺一人だったんだ。その時点で負けは決定していたのだと、心底思う祐であった。 場所は変わって、オペレーションルーム。こちらは食堂とは違って、険悪のムードを漂わせていた。その原因は…… 「何であんたがいるのよ。祐と仲良く向こうに行けばいいでしょ!?」 声の主は椎である。彼女はこの面子が気に入らないらしく、この次第であった。と言っても、禾奈が気に入らないだけなのだが。 禾奈はそんな彼女を完全に無視していた。毎度の事なので、慣れたと言う顔でその状況を見つめていた。 実際、周りの者もそうであった。おとなしくしていれば危害があるわけでなし(多少五月蝿いが)、そのうち気が済んで――疲れて、静かになると言うのが皆の打算である。 「ねぇ、なんとか言ってみたらどうなの!?」 顔を近付け、一気に捲し立てられた禾奈は、近くにあったタオルで顔を拭いた。 「――唾、飛んでくるんだけど……」 ボソッと言った言葉は、椎の耳にかろうじて入ってきた。それが気に触ったのか、椎はますます激昂した。 「あんたねぇ、人が下手に出ればそれをいい事に、文句言ってんじゃないわよ!!」 ――いつ、誰が下手に出た? 誰かがふと、思う。言えばこっちまで巻き添えを喰らうのが、目に見えている。従って、誰もその事を突っ込む気配はない。ゲンナリしながら皆して戦況を見つめている。 「ま、まぁまぁ。そんなに怒らないで、椎。君のせいで、みんなテンションが下がっちゃったじゃないかい」 割って入ったのは中華人民系の少年であった。彼は祐がいない時によく止めに入っている。 「いくら飛燕だからって、邪魔しないで!!今日と言う今日こそ、決着をつけてやるんだから!!」 「お、いいのかい?」飛燕は肩をすくめて、言葉を繋ぐ。 「ドリームランド、行きたいんじゃないの?」 ――巧い!! また誰かがそう呟き、胸中でガッツポーズをとっている。椎の心理をついた作戦だ。 「……………………」 「どしたの? 黙って」 しばしの沈黙。水面が波紋を嫌うが如く、静かである。 「――ほんと〜に? ほんとーに一緒に行ってくれるの!? ヤッター、うっれしっいな〜☆☆」 ――は、迅い…… 先程とは打って変わって、黄色い声で騒ぐ。その転換がものすごく速く、皆して呆気に取られる。 「ねぇねぇ、じゃあさ。何時行く? 今度の休みがいい? それとも〜、クリスマスがいい?」 「クリスマスって……まだ三ヶ月以上も先じゃないか」 「予約は早めにしないと、ね?」 ウィンクまでしながら、飛燕から離れようとしない。この状況は男にとってうらやましいのか、それとも苦痛なのか……相手が相手だけに飛燕には苦痛の部類に入るのかもしれない。 「よ、よし。じゃあこうしよう。今回の事が解決出来たら、行ってもいいよ。でな、椎が活躍した度合によっては、クリスマスに行ってもいいだろう」 その言葉に眼を輝かせ、椎はいつになく燃えているのが、傍から見ても分かった。 「本当ね。約束だよ!?」「あ、あぁ」もう、飛燕には止められない勢いである。 ――ゴメン、フェイ……犠牲になったあなたの分も頑張るから。 何か違うと思いつつも、心に誓う禾奈であった。 しばらくして…… 「――と、言うわけで……」 メインモニタの前で飛燕が進行をしているのだが、目の前では問題児、椎が居座って一所懸命励んでいる。その行動だけを見ると、珍しいと思うかもしれないが、内容を知っている此処に集まった人間は、苦笑するしかなかった。 「この様な状態を抜け出すためには、二通りの方法がある、と」 「そう言う事です。喜多見さんの話しですと、どちらの方法もリスキーですから、無理は禁物だそうです」 話し合いに加わっていた中野が発言した。彼は二つの班の中継役であるので、先程の騒ぎの一件は、運良くいなかったのである。それだけに、椎の行動が気にかかっていた。 「――どちらにしても、結局はこちらから動かないといけないのね」 「確かに。禾奈くんの言った通り、受動だと遅れをとってしまいます。そこで、一つ提案があります」 チーフの企みって、いつもやな予感がするんだよな……誰とでもなく、胸中の中でそう思っているのは大半――いや、ほとんどそうであったと言うのは、本人は気付いていない。 ニンニクの香ばしい薫りが漂っていた。厨房では香苗がエプロンを付けて、スパゲッティを炒めている。彼女自慢のペペロンチーノである。サッと炒め終えると大きめの皿に盛り付け、食堂に顔を出す。 「ペペロンチーノ、出来たよ〜。って、みんな何やってるの?」 皆、食堂の一角に集まっているので、香苗はテーブルに皿を置きながら問いかけた。 「いや、息抜きにダーツをやってるんだけど。それが……」 蒼ざめている祐の声に首を傾げ、ダーツをやっている方を見やる。現在、瀬奈がダーツを持って構えているのだが、そこは異様な盛り上がりをしている。不自然に思い、ふと的の方を見てみるとそこにはなんと、中心にダーツの矢が四本も刺さっているではないか!! 「もしかして、これって……」 「ご名答。瀬奈がやったの……」 気の抜けた声で祐がボヤく。瀬奈にこんな才能があるなんて、知る由もなかった――まぁ、この舟に乗り込んでからそんなに経っていないのだが…… 香苗はニヤリと微笑み、瀬奈を呼んだ。近くにいる祐には、スパゲッティが冷めないうちに食べてね、と告げてから瀬奈と一緒に廊下に出ていった。 その行動が不審に思えたのか、祐は二人が出ていくまで見守っていたのだが、面倒臭くなって、仕方なく軽食をとった。 「ゆう〜、こっちに来て〜」 香苗の猫撫で声が聞こえ、祐の背筋に悪寒が走った。振り向きたくない。けど、それは許されない行為なのか……ため息を吐きながら、自嘲気味に心の中で呟く。とりあえず、振り向いてみる。 「あの……危ないんじゃないのですか?」 「大丈夫だって。自信持ちなさいよ」 「でも……」 そんなやり取りしている所を見ると、瀬奈の手に、何か光る物があるではないか。祐はそれを凝視して判別した瞬間、ギョッとした。 「おい、それナイフじゃないか?」 「ビンゴ! 解〜。答えを当てた祐には、もれなく瀬奈の投げナイフショーを身近で見てもらいましょう!!」 「――!?」 一瞬、理解出来なかった。だが、その嬉々とした顔の香苗を見て、分かった。俺を標的にするんだな。祐の頬は激しく引きつっていた。 「あの……当たったら、避けて下さい」 ――彼女もやる気十分じゃないか!! しかも、当たったらもう避けられないし……瀬奈は一本のナイフを手に、投げる練習をしていて、そろそろやばい雰囲気が醸し出す。ちなみに彼女の持っているナイフは、刃渡り7センチ、全長10センチの投げナイフである。 「――もし、此処から俺が動かなかったら、どうするんだ?」 その問いかけに、香苗は「考えてるわよ」と軽く答え、瀬奈に耳打ちする。 「いいんですか? 香苗さん」 祐の方を向いて瀬奈が口を走らす。その表情は、少し蒼白。 「いいわよ、あなたなら出来るから……」 「お、おい……此処でやるつもり……」 祐の台詞がまだ終わらぬうちに、 「ゴー!!」 ――ストン!! 『――へ?』 静かすぎる静寂。その場にいる皆――香苗と瀬奈を含め、祐以外――、唖然とした。ナイフは祐の座っている席の、腹わき数ミリしか離れていない木製テーブルに刺さっているではないか。しかも、面積の狭い台の横の部分に!!刹那の出来事に、祐は何が起こったのか把握出来なかった。 「と言う事で。あなたの武器、チーフに頼んどくから」 これで所持品が決まったと、香苗は踵を返し、その場から立ち去った。 まだ戻らぬ静寂の中、祐はテーブルの縁上に蹲った。 「あ、だ、大丈夫ですか!?」 瀬奈は祐に心配そうな面持ちで駆け寄り、座って顔を覗き込む。 「ダイジョーブだけど……はは、人には二度とやらないで……」 滅入った声で答える。精神的なダメージを被った彼は、疲れ果てていた。椅子に体重を支えられ、動く気が起きない。そんな時だった。 ――ガウン!! 「!?」 その音と共に、祐の座っていた椅子は軸を失った。その衝動で祐は横に倒れ、結果、瀬奈の上に覆い被さる形になった。何が起きたのか、食堂にいた者全員、理解出来ていない。 丁度休憩だったので、たまたま部屋に帰る途中、たまたま食堂の前を通っただけだった。そう、偶然が重なっただけである。通った瞬間、目の当たりにしたもの――祐が瀬奈を襲ってる!? 通りすがりの彼女にはそう見えたのだろう。だが、彼女はそれだけで体内の血液が沸点にまで達し、勝手に身体――正確には腕だけだが――が動いて、センチメーターマスターの火が吹いていた。今はもう、頭の中が真っ白の状態だ。 ――祐の、バカ…… 走りながら彼女はそう胸中で呟いた。 「此処は……会議室、ですよね?」 科学者はそう口走った。祖父の向かっていた先は此処、会議室だったのである。 「意外かな?」 確かに意外と言えば意外なのだが、モニタ会議設備など、色々な物が整っているので、何となく理解出来る。 小林は村井に促されるまま部屋の中に入り、席に座る。中には長円形のテーブルに、埋め込み式のモニタが斜めに設置され、ヘッドフォンマイクが接続されていた。座れる人数は二十人程と意外に少なく、重要な会議の時にしか開かないのだとすぐに分かった。 村井は大型モニタの前で、コンソールを叩いていた。その手付きは見事な物で、老い始めている人間とは思えなかった。 「――よし、接続したぞ」 そう言い終えると、小林の隣りに陣取り、ヘッドフォンマイクをセットした。 「どこに接続したんですか?」 「"パンドラ"の本部、フェニックス……」 「え?」小林は抜けた声で問い返す。 「正確にはフェニックスの、アルシオーネ総督の部屋へ接続した」 淡々に言い述べると、小林にもヘッドフォンマイクを着用を促した。 「ど、どうするんですか? 総督の部屋に接続して……まさか、話し合いをするつもりなのですか?」 「その、まさかだよ」 「しかし、何を話し合うんですか?」 「――天魔法について……」 そう言うと、村井はモニタの横にあるボタンを押した。モニタはそれに反応し、画像が映し出された。画面の向こうには、とても"パンドラ"を背負って立つ者とは思えないほど、顔の整った若い男がいた。総督、アルシオーネである。特徴的な銀髪は肩まであり、三十路前後か、彼は物静かそうな印象がある。 「――お忙しいところ申し訳ございません、アルシオーネ総督」 『いや、構わん。それほどに緊急性を要した事だと、分かっている。まぁ、堅い事は抜きにしよう。わたしと村井の仲ではないか』 微笑みながら、アルシオーネは村井にそう言った。どういった仲なのか、小林には理解できないが、横の村井を見やると、こちらも微笑み返していた。 「ありがとうございます。では単刀直入に。アル、こっちに来てもらえないか?」 『それは源ちゃん、どうしてだい?』 ――愛称で呼びあっている!? 胸中で呟き、顔を引きつらせた。堅い事は抜きと言っていたが、ここまで柔らかくなると、聞いているこっちが変になってくる。 「天魔法によって、身動きとれなくなったんだ。多分これはナイトメアかと……」 『そうか……ところで源ちゃん、横にいる人は?』 「あぁ。この娘は件の小林瑠花くんだよ、アル」 簡単に紹介され、慌てて頭を下げる小林。件と言うのはディルスの事だろうと、勝手に小林は解釈した。 『あぁなるほど。お前のお気に入りの……』 「お、おいおい、それはないだろう」慌てふためきながら、村井が否定する。年甲斐もなく顔を紅く染め上げていた。その反論が怪しいと思ったのか、アルシオーネは口端を僅かに釣り上げながら微笑んだ。 『まぁまぁ、気にするな。で、小林准尉。その後はいかがかな?』 スッと話題を切り替える。そのスイッチがやけに早い。 「その後と言いますと……?」 『ディルス、と呼べばいいのかな?例の遺伝子操作合成獣の開発中止を受けてからの、その後の事なのだが』 しばし、首を傾げながら考え、そして口を走らせた。 「正直言って、重い肩の荷が下りた感覚ですね。軽くなりました」 『そうか、それはよかった。さて、これからそちらに行こうと思うのだけど、今わたしはコロラドの方にいるんだよ』 画面の向こうの顔は少し、俯いた感のあるアルシオーネの表情があった。が、村井は簡単に口を開いて返事した。 「何言ってんだ、アル。お前さんはこっちに来る事なんて、容易いだろうが」 『まぁ、そうだが……そんな事言うと、世の中の摂理を乱すようでな』 「アルの存在自体、摂理を乱しているんだがな」 その会話についていけず、小林は頭上にクエスチョンマークを浮かべさせていた。 「あの、どう言う事ですか?」 「んん? あぁ、それは今起きる事を見ていれば分かる」 「そだな、源ちゃん」 …………………… しばしの沈黙。会議室には気まずい雰囲気が漂っている。 「ハヘ!?」 いつの間にか村井の向こうに座っているアルシオーネを見、席を立ち上がりながら間の抜けた声を張り上げた。 「あ……あの、その……ど、どうして、こ……ここ、に!?」 自分でも何を言っているのか分からず、小林は錯乱状態に陥っていた。何々、何が起きたの!? 「久しぶりだな、アル」 「あぁ、そうだな」 何もなかったかの様に、二人は話し合う。小林の混乱状態を尻目に…… 「何時来られたんですか!?」 「たった、今だが……」 「あまり瑠花くんをいじめるではない。瑠花くん、アルはな……」 ――バツン!! 「キャッ!!」 いきなりのダークアウト。主電源が切れたのか、ブレーカが落ちたのか、会議室の中は一気に闇に包まれた。 「――変だな。非常灯が点かないなんて……」 ぼやきながら、彼らは闇の中に包まれていた。 |