蒼い星の戦士たち Vol.3

File3 夢に堕ちるもの



「ぬかるな〜! 俺たちはただ、目の前の敵を倒せばいいんだ!」
 ――オォー!!……
 ドスのきいた声が狭い艦橋の中に響く。その声に答えるように、大勢の男達は、士気を高めながら声を大にしている。
「倒した奴は"鳳凰"から報酬が出るぞ〜!! きばっていけよ〜!」
 ――オォー!!……
「目標はミスカティア。突撃〜!!」

* * * * * * * * * *


 ――儚いものですな、地上の戦いと言うのは……脆く、崩れるのが簡単だ……
 暗闇――と言っても蝋燭の明かりで完璧な闇ではない――の中。男が目を細めながらモニタを眺める。大きいソファに腰を下ろし、右手にはワイングラスが掲げられている。血の様に紅いワインは、男の口から吸い込まれる様に徐々になくなっていく。
「――様、用意が出来ました」
 黒い外套を着込んだ女に呼びかけられ、男はスッと立ち上がる。背は2メートル近くあり、身体つきがしっかりしている。顔も整っており、女性が嫌でも近付いてきそうなタイプ……逆に男としては、一番近付きたくないタイプである。しかし、彼の背中には、異様とも言える黒い翼を覗かせている。
「よし、行くか……リリス、行くぞ」
「はぁい。待ってくださぁい、ルシフェル様ぁ」
 間伸びした愛らしい――と言うか幼い声が響く。見た目十歳そこそこの彼女は、ルシフェルにベッタリとくっついて歩いた。ルシフェルは少し困り、口の中でブツブツッと何かを呟く。
「やぁだぁ。ルシフェル様ぁ、わたしがこんなに近くにいるもんだから、照れてるんでしょ? でも、そんな所がぁ、わたしはす・き・だ・な」
「リリス。これから遊びに行くわけではないのだぞ。分かっているな?」
「分かってるわよぅ、それくらいぃ。これからぁ、ルシフェル様とぉわたしはぁ、大事なぁ、と・こ・ろに行くのぉ。きゃ、なんか意味深……」
 頬を赤らめながら、見当違いの方を向くリリス。聞いているほかの者が、頭を押さえている気持ちがよく分かる。当の本人はまったく気にしていない。だが、ルシフェルは平然とした顔で、リリスを見つめた。トクン……と、リリスの鼓動が瞬間で高鳴るのが、手に取るように分かる。
「な、なぁにぃ、ルシフェル様ぁ。そんな顔でぇ、わたしをぉ、見つめないでぇ」
 ――サイレント……
 ボソッと呟いたルシフェルの言葉は、誰にも聞き取れなかった。と、その刹那、横にいたリリスが自分の口を指で差しながらパクパクとさせて、涙を流して訴えていた。
「安心しろ。静かになると言うのなら、解いてやる」
 その言葉にリリスは、コクコクッと激しく肯いた。
「では。改めて、出発しますか……久方振りの地界へ……」

* * * * * * * * * *


 だからと言う物でもないが……

「何!? ルシフェルが動こうとしているのか!?」
 白い床にペンタゴンの円が描かれている場所。玉座に威風堂々と座っている男が、声を大にして叫んだ。その知らせを届けた者は、彼の叫び声に立ちすくむばかりであった。が、そんな暇はあまりない。
「そうです。堕天使ルシフェルが、地界に降りる準備を行っています。が、その……動機が分からないのです。何故、ルシフェルは地界に降りようとしているのでしょうか?」
「それを調べるのが、お前の仕事ではないのか? ――まぁいい。エンジェルのピピン、いるか?」
「はいはいは〜い!!」
 男の声に答え、少年の姿をした天使が突如、何もない空間から現れた。彼の背には純白の小さい翼が折り重なっている。
「返事は一回で十分だと、何度言えば分かる? ピピンよ」
「おっと、ごめんなさい、メタトロン様。で、何の用ですか?」
 結構軽口な性格に、何度手間をかけられたか……メタトロンは胸中でため息を吐く。まぁ、何度言おうが、性格という物は変えづらいのだが。
「ピピンよ。これから地界に降り、ルシフェルの行動を監視していてくれないか?」
「Okay、分かったよ。その代わり、一つだけお願いしてもいいですか? メタトロン様」
 ピピンは指を一本立てながら、メタトロンに正面きって話す。続けて、
「地界に降りてから、一日だけおいらにフリー時間を与えてよ。それだけでいいんだ」
「それだけか? なら、いいだろう。よし、では出発しろ。何が起こるか分からないからな。十二分に注意していけよ」
「は〜い、メタトロン様」

* * * * * * * * * *


 地界では、そんなやりとりが行われていたなんて、知る由もないもので……
「――来ましたか、ついに……」
 寛いでいた中野が、重い腰を上げた。
「"パンドラ"だけならいいのですけど、ねぇ」
 自嘲めいた独り言を呟く。近くにいる者に聞こえない様に……

 ビープ音が舟全体に響き渡る。同時に緊張の戦慄が走る。
『前方より"パンドラ"接近中。迎撃準備、用意……』
 スピーカより流れる声は意外と冷静であった。それだけでも、皆の心は和らぐ事が出来る。
「禾奈、いくぞ!」
 ヘルメットとゴーグルを着け、助手席にいる少女に声をかける。
「Okay祐。準備万全、いつでもドーゾ!」
 こちらも同じような出でたち。ただし、こちらは半自動小銃と、愛銃を手にしている。
「よし。こちらアルバート、祐&禾奈組、準備オーケイ。カタパルトに出してくれ!!」
『了解。祐、禾奈。あまり無茶するなよ?』
 機内スピーカに直接接続された回線に、聞き慣れた声が広がる。
「誰に物を言っているんだ? フェイ。俺はいつでもこんな物だぞ。それに、お前にはやってもらいたい事が沢山あるんだ」
 ホヴァーがハンガーに吊るされ、カタパルトに移動する。
「ようするに、"アルバート君を壊してくるから、後で修理しといて"って言いたいんだ。祐は」
「――横から茶々入れんな、禾奈」
 祐の意を介せず、禾奈は笑いながら前を見る。外は雷雨。頭の中にはもう、どの様に戦闘を進めようか思考が始まっている。
『まぁ、期待していないけど。チーフに怒られるのはお前だけだしな。おっと、そんな事はどうでもいい。祐、禾奈。発車させるぞ』
 飛燕の声と同時に、ホヴァー専用カタパルトで射出。後ろにGを感じながら発進していった。

 ――のだが、景気よくいったのは、初めだけだった。
「――雨で前、全然見えないんだけど……祐」
 情けない声でうめく禾奈。
「ワイパーの意味ないな」
 激しい雨のせいで、世界が滲んで見える。スピーカから、飛燕の声が雑音混じりで届く。
『ガラスワックスかけてあるから、ワイパーなんか止めちまえ。壊れるだけだ』
「それは言えてる……」
 飛燕の言葉に、軽はずみで答えたのが悪かったりする。ワイパーのスイッチをオフにしたって、結局は変わらないのだ。
「……………………フェイ〜?」
『ハハハッ、気にするな祐。こういう激しい雨は短時間で止むのが相場だ。我慢しろ……てのが、チーフの話だ』
「本当にか? その割には空笑いだった様な……」
「飛燕って、分かりやす〜い……」

* * * * * * * * * *


 ――ほっとけ……
 飛燕は独りごちた。分かりやすいのは前からだっての。頬を掻きながら飛燕は、表情をごまかしながら、横にいる広野に声をかける。
「でも広野さん、どうするの? 祐たちの言う通り、このままじゃ何も出来ないよ?」
「そうだな。"パンドラ"は、こっちに直進しているだけみたいだから、その進路にこちらからトラップでもかけましょっか。飛燕、此処に香苗を呼んで来てくれないかな」
「――あ、そっちのトラップね。それから後はどうするの?」
「とりあえず準備が出来るまで待機」
 鼻眼鏡を元に戻し、マイクを手にとって広野は指示を出した。それを聞いてから、飛燕はコントロールタワーを出て行った。
「香苗が来るまで、ひと休みひと休み……」
 独りごち、広野は挽いてあったブルーマウンテンを、ドリップする準備を始めた。ドリッパーに挽いた豆を入れ、やや高めの位置からお湯を落とす。コーヒーの芳醇な薫りがコントロールタワーに漂う。豆は表面張力であふれんばかりに膨らむ……が、広野はその限度を心得ていた。
「広野さん、香苗を連れてきたよ……って、またコーヒー淹れてるの?」
 飛燕は中に入ったと同時に、嫌な顔を見せた。
「飛燕。コーヒーの薫りは心を和ませてくれるのです。そんな顔をしないで」
 湯気で曇ったままの眼鏡で、飛燕に話しかける。
「――プーアル茶の方がいいよ……」
 ボソッと言った飛燕の言葉は、隣にいた香苗ですらも聞こえなかった。
「ほんとに好きなのよね、広野さんって。ね、フュリー」
 香苗は香苗で、肩に座っている小さな妖精に声をかけていた。妖精はコクコクと肯いている。
「ま、コーヒーの蘊蓄を語るために、香苗を連れてこさせたのじゃないからな。
 香苗。雨が止んだのと同時に一つ、仕事をしてもらえないかな?」
「別に、簡単な仕事なら……」
「それはちゃんと保証しますよ」

* * * * * * * * * *


『各員に告ぐ。
 香苗がドでかいのをかますから、注意。いじょお!!』
 命令じゃないような伝令が、飛燕の声で飛び交う。
「――だって、祐」
 助手席に座り、その命令を耳にした禾奈は、隣りにいる祐の合いの手を入れてもらおうと、待っていた。
「分かりやすいな……しかし、この雨の中で移動も大変なの、中の人間に分かるのか?」
「さぁ、ね……」
 肩をすくめてみせる禾奈。続けて、
「わたしとしてはこの雨の中だと、これがあんまし役に立たないから、閑なのよね」
 モーゼルとセンチメーターを手で弄びながら、鼻でため息を吐いた。
「――確かにそだな……で香苗の奴、今日は何をするのかな?」
「この状況だと、イリュージョン……」
「ご苦労なこった。精神を集中しているんだろうな、今頃……」
 ハンドルに肘をかけ、未だに止まない雨を眺める祐。若干、先程よりは弱くなっているか。
「あれ? 香苗の姿って見た事ない?」
「ん。俺はそんときゃいつも表に出てる」
「そか。彼女ね、そんなに集中してないよ?」
 禾奈が素っ気なく言い放つ。それを聞いた祐は片眉を上げた。
「はぁ? あれって凄く精神的に疲れるんじゃないのか?」
「それは集中力の度合いよ。彼女は楽しんでやってるの」
「楽しんで……って事は、だな。いつか見たあの服装は、楽しんでいた、と言う事なのか?」
「いつか見たって……あぁ、あのフュリーみたいな衣装の事か。あれはわたしが作ったの」
 グーにした手を、もう片方の掌に向かって叩いた。禾奈は笑いながら続けた。
「始めの時は『恥ずかしい』なんて言ってたけど、慣れちゃったみたい。トンボのような羽根を再現するのが、一番苦労したのよね」
「――お前さんはコスチュームマイスターか?……」
「小さい頃に母さんに教えてもらったの。そう言う奴の作り方をね」
 ――どーいう家系なんだ?……
 祐の頭の中は、こんがらがって錯乱状態である。知りたくないし、知っていてもどうしようもない。
「ま、どうでもいいけどね、そんな事は。で、香苗にこの間ね、どうしてそんなに楽しく出来るの? って聞いてみたの。そうしたらね、なんて言ったと思う?」
 その問いに答えられるはずもなく、首を左右に振った。
「彼女ね、風を肌で感じながらやってるんだって。ほら、香苗って自然愛護の気があるでしょ? だから、そう言うのでリラックスが出来ちゃうんだって」
「お前で言う所の、銃を手に転がす事か……」
 目を細め、横の禾奈を捕らえ、そして直ぐに逸らす。
「それはただの癖ってもんよ」
 禾奈は肩をすくめながら、簡単に答えた。



 小林は机の椅子に座りながら窓から外を、ボーッと眺めていた。雨が次第に弱まっていくのを、なんとなしに気がついていた。そして、ため息を一つ。頬杖にしていた腕を崩し、机に顔を埋めた。
 ――わたしは、何のために"パンドラ"に入ったんだろう……
 答えてくれる人はいなく、また、深いため息を吐いた。確か、科学者のはしくれとして、雇われたんだっけ? 本当は科警研にでも行こうと思っていたのに……ま、人生ってのはそんなものなのかな。
 自嘲ぎみに心の中で、失笑した。パンドラに入ってから、自分のやりたかった事、一つもやらせてくれなかった。と言うか、全て強制的に科学兵器を作らされた。挙げ句の果てにディルスまで……これが一番最悪だった。一時期この事で自己嫌悪に陥ったり、自律神経失調症になったりもした。身体は正直と言うのは本当だ。薬漬けになりそうだった時、村井少佐に助けられたのは救いだった。唯一の理解者として、いつもわたしの話を聞いてくれた。そして今……
 今、どうしようか迷っている。何をどう迷っているのか、迷っているのだ。複雑な迷路。それは何本もの紐が、がんじがらめに絡みあった様に、解くのが難しい。
 ――ハァ……
 一人しかいない部屋に、ため息が響く。それはそこはかとなく、悲しい旋律のようであった。彼女は脱力感のある腕で身体を起こし、立ち上がった。



「ところでルシフェル様ぁ。地界に行ってぇ、どうするつもりなのぉ?」
 大きな生き物の背中で、リリスは前にいるルシフェルに問いかけた。
「我々、魔界に住む者が地界に用があると言うのは、一つだけだと思うのだが……知らぬのか?」
「やぁだぁ、それくらいぃ、知ってるわよぅ。わたしはぁ、聞いてみたかっただけなのぉ」
 顔を真っ赤にしながら、リリスは否定した。ルシフェルは、ため息を一つ吐く。
「――まぁいいが。それより、しっかり掴まっていないと、このダークドラゴンに振り落とされるぞ」
「はぁいぃ」
 ――本当に分かっているのか?……
 リリスの無邪気な返事を聞き、ルシフェルは不安で仕方がなかった。
「とりあえず、だな。日本の東京に行くのだが、分かるか?」
「う〜んとぉ、もしかしてぇなんとかってニュータウンがあった場所ぉ? 確かそこってぇ、壊滅したんだよね。原因は分かんないけどぉ」
「――原因は分からなくても、別にいい。それよりこれから亜空間を抜けるから、気を抜くな。本当に何処に飛んでいくか知らんからな」
「は〜い☆ルシフェル様ぁ」

 ドラゴンと言うと、恐竜とかトカゲを大きくしたものを想像する者が多いだろう。しかし、現実は違う。それは人の勝手な妄想である。このダークドラゴンもそれに当てはまらない。魔界に棲むこのドラゴンは、別名「黒い霧」と呼ばれ、実体がなく、見る事は難しい。
「さて、もう少しで着くと思うが……ほう、地界は黒雲に包まれていますか。これはいい事ですね」
 上空から見下ろしながらルシフェルは呟く。確かに格好の遮蔽にはなる。
「ルシフェル様ぁ……ちょ、ちょっと此処ぉ高いよぉ……」
 情けない声が後ろから聞こえる。一応それを無視してみようと、試みてみる。が、
「高い高い高い高い高いぃ!! 怖い怖い怖い怖い怖いぃ!!」
 まるで子供が駄々をこねているみたいに、眼をギュッとつむりながら首を激しく振り、大きな声で叫ぶ。そんな状況をルシフェルは、キッとリリスを睨みつけた。
「――リリス? もう一回やってもらいたいかな?」
 目つきとは反対に、声は異常に優しかった。いや、優しすぎる。その雰囲気にリリスでも気付かない筈がない。
「――それは嫌ですぅ……」
 ピタッと顔を止め、半泣き状態でリリスは目を潤ませた。ちなみに両手はグーの状態で口元に持ってきている。
「よろしい。さて、此処にあるのでしょうかね、例の物が……」
 頭の上にクエスチョンマークを何個も浮かばせながら、リリスはルシフェルの背中を見ていた。

* * * * * * * * * *


 瀬奈は少し違和感を覚えていた。何かがおかしい。しかし何が?と問われても分からない。
「どうしましたか?喜多見さん。空を見て」
「え? いえ、別に何も。ただ、何かが違うような気がしてならないんです」
 中野の問いに、率直に答える。中野に顔を向けずに、瀬奈はただ、窓から雲の動きを眺めた。
 櫟は医務室に戻り、香苗は飛燕に呼ばれたため、ブリッジには今、中野と瀬奈しかいない。それだけに、空気がやたらと重い。
 ――何? なんなの、一体。身体が、震えてる……
 背中、足、そして腕……瀬奈の肢体全てが粟立たせた。
「チーフ、何かが来ます」
 彼女の声は、震えていた。しかし、はっきりとした声でそれは中野の耳に届けられた。
「何か、ですか? 不透明な言い方をしますね」
「すいません。ただ、身体の震えが止まらないんです。どうして?」
 中野に言いながら、自問する。が、答えは見つかるはずもない。
「ふむ……しかし、目前に"パンドラ"の部隊がいるんですけどね。どうしましょうか」
 右手を顎に持っていき、中野は首を右に傾ける。
「いいでしょう、喜多見さん。もし、その何かが接近してきた時、どんな状態であろうとも、わたしに言って下さい。それから対処を行います。それでいいですか?」
「はい」
 瀬奈は静かに従った。

* * * * * * * * * *


「――で……またそんな格好なの? 香苗」
 飛燕は呆れた顔でほざいた。妖精の格好をして、もう見飽きた。
「一応これでもリニューアルしてるんだけど、分からない?」
 その香苗の問いに、飛燕は間髪入れずに首を左右に振った。
「分からん。何もかもな」
「――あら、フェイって意外と鈍感なのね」
「鈍感で悪かったな」
 飛燕はブスッとした顔で香苗を睨む。が香苗は、
「クスッ……怒った顔って可愛いのね……」
 と、まるで子供扱いする。同い年の少女にその言葉を言われ、傷つかない方がおかしい。飛燕は、クロスパンチを喰らったが如く、地に手をつけた。
「うぅぅ……どうせ俺は童顔だよ……」
 この呟きに、誰も気付かないでいた。
「――香苗は仕度が済んだし、あとは雨が止むのを待つだけか。飛燕、いつまでもそんな格好してないで、早く用意しなさい」
「はへ? 何をするんですか?」
 広野の言葉に飛燕は呆然とした。役割があるとは思わなかった。
「援護。香苗のね……」
 その言葉を聞いて、飛燕を香苗は顔を見合わせた。
「援護……ですか?」
 飛燕は広野に向かって、問いかけた。
「そう、援護。不満かい?」
「不満はないけど、何をやればいいのかな?」
「ん? そのまんまの意味だけど……得意の功夫を使ってね」
「え!? 飛燕って功夫出来たの!?」
 意外と言う顔つきの香苗。目をパチクリとさせながら飛燕を見る。
「出来ちゃ悪いのか? なぁ……」ジト目で睨みつける飛燕。彼は広野に向き直ってから続けた。
「でも……この御時世で"素手の拳法"って、役に立つのかな?」
「――じゃあなんで功夫やってるのよ」横から茶々を入れる香苗。ごもっともな意見である。が、飛燕は、
「それはただの趣味だよ」と、答える。
「あっそ……」香苗はため息と共に呟いた。
「大丈夫」
 広野はそんなやり取りをしている二人に向かって、鼻眼鏡を直しながら言い続ける。
「その為の罠だからね。絶対必要になるから。変な事が起きない限りね」
 広野の奥深くに眠っている何かが今、笑ったような気がした。



『隊長、このままだとミスカティアに着く前に、雨が止んじゃいますぜ?』
 戦闘用ホヴァーのスピーカから、部下の声が聞こえてくる。
「わかってるわい、それくらい!! こちとら直進のみしているんだ。全速力で向かうぞ!!」
『おう!!』
 フィルダーはその返事を聞いて、安心した。何をどう安心したのかは、知る由もないが……
 彼らは今、鹿島の小高い丘にいる。ここから多摩センターへはもう、目前――丘を下るだけである。
『――見えた!! 目標ミスカティア、確認!!』
 部下の声がまた、狭いコクピットの中に響く。フィルダーは思わず歓喜した。ミスカティアを撃破出来れば、彼の功績が高くなる。そして昇進もまた、夢ではない。そんな状況を傍から見れば、人生薔薇色の阿呆にしか見えない……まぁ、気持ちは分からないでもないが。
「集ったか!? よし、行くぞ、野郎ども!!」

 先陣を切って踊り出たのは、フィルダーの側近、クーリエだった。彼は鹿島の丘を勢いよく下っていった。
 ――相手はこの雨で地団太を踏んでいるんだ。そこを狙ってやれ……
 クーリエはそう思い、ミスカティアの周りに散らばっている敵機のホヴァーに目標を定めた。と、
 ――――――――ァ……………………
 先程までの激しい雨が、嘘のように晴れ上がった。空の向こう側には大きな七色の橋が架かっている。
「隊長、雨が上がりましたぜ!! どうします!?」
『本隊からは何も連絡はない。このまま突っ切る!!』
「了解!!」
 敵艦隊まであと百数メートル。その時点でクーリエは操縦桿のボタンを一回、親指で押した。
 ――バシュ!!
 ホヴァーのフロントバンパーに取り付けていた、小型のロケットランチャーが、勢いよく敵機に向かっていった。
 ――ドーン!!
『行くぞ!!』
 土煙が立ち昇り、それが戦いの狼煙となった。フィルダー率いる部隊は皆、一気に多摩センター駅へと駆け下りた。
 ――が、何かがおかしい。クーリエは眉間に皺を寄せた。
「隊長、何か変ですぜ。なんて言うか手応えがない様な気がしますぜ」
 クーリエのその言葉に皆、信じようとはしなかった。
『何を臆した、クーリエ。我々の方が今、押しているのだぞ?』
「そうですが……では何故、相手は反撃してこないんですか?」
『そんなの、お前の先程の攻撃が、あいつらの主力武器でも粉砕したんじゃないのか?』
「そんな。たったランチャー一発だけで……」
『うるせぇ!! ウダウダ言ってねえで行ってこい!! 俺も行くぞ!!』
 言葉を遮られ、クーリエは呆然とした。横にいたフィルダーは、叫ぶと同時に下っていく。
「――少し、此処で様子を見よう……」
 フィルダーのホヴァーを見つめながら、クーリエはそう呟いた。

 少し離れた所で戦況を見守っていたクーリエは、異様な光景を目の当たりにした。
「――傷が……ついていない……?」
 あの猛攻の中で、何故戦艦が無傷でいられるんだ? ……そうか、魔術か。魔術をミスカティアにかけていたんだ!!
 魔術は聖霊の力を借りて、人の力では起こり得ない現象を起こす事である。香苗が今使った魔術は、火と風の聖霊の力を借りて、蜃気楼と同じような現象を造り上げたのである。
 だが、気付いた時にはもう遅かった。土煙が無に帰した時、攻撃していたミスカティアの少し離れた所に、ミスカティアが並んで居座っていたのだ。周りにいたホヴァーと共に。
 ――土煙が、なくなった?……
 訝った。同時に不安すら身体を横切る。当たり前だ。攻撃を一方的に行っていたにも関わらず、攻撃の手を休める筈もない。何故?
「――弾切れか!?」
 そうか、"ワルキューレ"の奴等は、これを狙って態と攻撃してこなかったんだ。クソ!! してやられた!!
 クーリエはインパネを激しく叩き、激昂した。だから、おかしいと思ったんだ。今の戦力で火器を扱えるのは俺だけか。情けない……
 クーリエは静かに丘を下っていった。フィルダーと合流するために。
 案外フィルダーのホヴァーは、簡単に見つける事が出来た。
「隊長、隊長!!」
 チャンネルを合わせ、無線で声をかける。
『おぉ、クーリエか。どうだ見たか、わしの勇姿を!!』
 その言葉にクーリエは愕然とした。今までこんな馬鹿げた男の下で一生懸命になっていた自分に、腹が立ってくる。上司を選べない部下の悲しい性か……
「隊長!! 一体何を見ているんですか!? ミスカティアは無傷なんですぜ!? 分かってるんですか!?」
 捲し立てながら、言い続ける。
「敵の魔術にやられたんだ!! しかも、俺たちの弾数をなくすためのトラップだったんだよ!!」
『お、お前……誰に向かって話してるんだ!?』
「そんなの知るか!!トラップに引っ掛かった事も分からない奴なんかな!!」
 クーリエは吐き捨てるように言い放つ。
『貴様!!』
 負けじと躍起になってフィルダーが突っかかってくる。が、そんな中でもクーリエは冷静だった。
「そんな事をしている暇があるんだったら、早く命令を出せ!! 内部混乱起こしたって、相手の思惑にはまるだけだぜ!!」
『う……く……』
 フィルダーは絶句した。確かにクーリエの言っている事は、的を射ている。それだけに反論出来ない。
『……仕方ない。皆に告ぐ!!これから近距離戦に移行する。機内に常備してある剣等を持て!!』

* * * * * * * * * *


 デッキの上。香苗が腕を挙げながら微笑んでいた。横にいる飛燕と広野も、満面の笑みを零している。
「イリュージョン作戦、成功〜!!」
 香苗がフュリーとおそろいの格好をしながら、指をパチンと鳴らす。広野はそれを聞いて、一斉放送を流した。
「攻撃開始!!」

「待ってました!!」
 相手の様子を見ながら、広野の一声で禾奈は嬉々した。手に持つモーゼルとセンチメーターを携えて……
「調子に乗るなよ? 相手だってプロなんだからな」
「分かってるわ、そんな事。それじゃ、発進よろしくぅ!!」
「しっかり掴まってな!!」
 祐は額に置いていたゴーグルを正常の位置に着け、ヘルメットを深く被った。
「行くぞ!!」
 ――ヴウゥゥゥン!!
 祐の言葉と同時にアルバートのエンジンが唸りを上げる。そして急発進。アルバートは向かってくる敵に向かって、直進した。
「目標発見!!」
 禾奈はルーフから上半身を出して、二丁の拳銃を構える。
 ――ガウン、ガウン!!
 銃声と共に敵ホヴァーの推進ファンを的確に潰す。ホヴァーは制御できずにスピンして、他の機体を巻き込んで炎上した。
「次!!」
 禾奈は次の目標を探し、目を動かす。
 ――ヒュンッ……
「――ちぃ!!」
 左横からナイフが飛んでくる。禾奈は上体を屈めて、なんとかそれを躱す。が、息をつぐ暇もなく、また投げ込まれてくる。
 禾奈はそれと同時に、左手に持つモーゼルのモードを、セミオートマへと親指ではね上げ、そのままトリガを弾く。
 ――タタタン!!
 連射された銃弾は、ナイフの鍔の部分に当たり、ナイフはなす術がなく地面に転がり落ちた。
「禾奈、右!!」
 ――ガン、ガン!!
「ッグァ!!」
 祐の言葉に反応し、右を向いて咄嗟に右手のセンチメーターのトリガを弾く。遠くからボウガンで狙っていた輩の肩に命中し、そのままボウガンを落とし、蹲った。
「前進、前進〜!!」
 禾奈は愛銃たちを前で上下に振りながら、祐を誘導する。「Okay」と、祐は口ずさみ、エンジンを思い切り回す。混戦している中を、祐は合間を縫って突き進み、禾奈はモーゼルで応戦する。
 ――タタタタタ!!
「祐、マガジン!!」
「どっち!?」
「モー君!!」禾奈は右手のセンチメーターをウェストホルスターに仕舞う。
「あいよ!!」下から祐がモーゼルのマガジンを、禾奈に向かって上げる。
「サンキュ!!」右手で受け取ると同時に、モーゼルのマガジンロックを指で解除し、ホヴァーの中に空マガジンを落とす。そして、新しいマガジンを再装填。ここまで約一秒足らず。と、
「――え?」
 ――スン……ドーン!!
 禾奈の真上を通る形で小さいランチャーが過ぎ、近くの地面で爆破した。飛んできた方向をよく見ると、少し離れた場所で一機のホヴァーが、祐たちに向かって照準を合わせているではないか。
「祐!!相手の火器って使えない筈じゃあ……」
「だと思ったが、チョットばかし予定が狂っちゃったみたいだな。一人だけ、切れ者がいたらしい」
「いたらしいって!! こんなんじゃ相手にならないじゃない!!」
 禾奈は銃を手にわめく。
「大丈夫だって」
「何を根拠にそんな事を!!」
「向こうはロケットランチャーだけに、当たりにくい」
「いい加減な……」
 ――スン……ドーン!!
 ランチャーに言葉を遮られ、禾奈は頬を引きつらせた。
「またくるぞ。思い切って信管でも狙ってみればどうだ?」
「そんな……いくらわたしでも……」
 ――ドン!!
 ランチャーが確実に、ホヴァーの方に向かっていた。
「クッ……どうなっても知らないからね!!」
 そう言って禾奈はセンチメーターで定め……
 ――ガウンガウン!!
 ――カシーン……
 ――ドーン!!
 確実に信管を捕らえ、ランチャーは空中爆破した。
「……………………うそでしょ?……」
「……………………ほんとにやるか?」
 二人して目を点にした。

* * * * * * * * * *


「何故だ!! 何故空中で爆破したんだ!?」
 クーリエは地団駄を踏んだ。
「クソ、この不良品が!!」操縦桿を強く握り、ミシッと言う音が聞こえてくる。まさか、拳銃ごときに信管を貫かれたなんて思ってもみない。
「こうなったら接近戦だ!!」
 操縦桿を前に倒し、全速力で先程狙っていたホヴァーの所に向かった。

* * * * * * * * * *


「んん〜? どうしたんだ、一体……」
 多摩センター上空に現われたピピンは訝った。何故争いごとをしているのか、状況が把握出来なかった。
「ま、いっか。おいらには関係ないしね。おっと、それより、メタトロン様の言い付けを守らないとね。えぇっと〜、ルシフェル、ルシフェルっと……」
 と、何処から出したのか、ピピンは千里鏡を片手に捜索に取りかかった。確かルシフェルはいつも、ダークドラゴンで行動してるんだよね。頭の片隅でそんな事を考えながら、ルシフェルを探しだす。
「う〜ん、なかなか見つからないなぁ……ま、簡単に見つかってもつまんないだけだしね」
 自分で勝手に解釈しながら、辺りを見渡す。彼を見ていると、重要な任務に就いているのか、分からなくなってくる。そう、まるで緊張感がない。と、
「おぉ?あそこにいるのって、リリスじゃないの?」
 ピピンは方角で言うと北西の方の丘、松ヶ谷にいる一つの影を見つけた。千里鏡で覗いてみると、それはルシフェルの部下のリリスであった。リリスは丘の上で両腕を挙げて、何かわめいて見える。遠くからでは、何をやっているのかよく分からない。ピピンは頭を傾げて、千里鏡を目から外す。
「あそこにリリスがいるって事は、近くにルシフェルがいるって事だよね。よ〜し、近付いてみよっと」
 ピピンは更にそこから上に登り、リリスに気付かれない様注意しながら近付いていった。
「まさか、人間たちはこんな所に僕がいるなんて、知る由もないよな」
 見下ろしながら呟く。彼の飛んでいる所は、地上の人間が米粒に見える程なので、当たり前の事である。というか、分かったら凄いと言ってもいい。ま、どうでもいい話なのだか。

 近付くのは比較的楽に出来た。が、これからどうするのか? である。メタトロンには、監視するようにとだけしか、言われていない。
「ま、メタトロン様の言いつけ通り、注視しているか」
 気楽にのんびりしているピピンである。
 地面は先程の雨でぬかるんでいる。そのためピピンは今、丁度リリスの真上の積雲に隠れながら彼女を見ていた。覗き込むと、リリスはまだ一人でわめいている。ルシフェルは何処にも見当たらない。
「何……してるのかな?」
 思うのも束の間、ピピンは眉間に皺を寄せた。そうか、確かリリスって夢魔だったんだ!!おいらの馬鹿!!これはマズい事になるぞ。
 リリスはサキュバス、インキュバスの上に立つ、淫らな夢を見せる悪魔である。人は彼女のその魔法にかかると、白昼でもまどろみを覚え、夢の快楽へと沈んでいく。本人が分からない様に。
 つまりはこれから……いや、今行っている行為が魔法なのだろうか。ピピンは目の前で見た事がないので、はっきりとは分からないが嫌な予感がする。
 ピピンの額にはうっすらと、汗が滲み出てきた。

 いつの間にかルシフェルが消えていた。辺りを見渡すが彼女は見つける事は出来なかった。
「あぁん、もぉ。ルシフェル様のぉ、馬鹿ぁ!!」
 独り残され、リリスは瞳に涙を浮かべていた。ルシフェルは何処に行くとも教えてくれず、リリスを松ヶ谷の丘に残していったのだ。無論、ルシフェルにしてみれば、教える義理もないのだろうが……
 リリスは何だか知らないうちに、置いてきぼりを喰らったので、混乱しながら天に向かって叫んでいた。
「何処に行ったのぉ!?」
 だが、その問いは誰も答えてくれない。沈黙の中、リリスは肩をフルフル震わせて、いつの間にかまぶたから、一条の光る物を頬へ伝わした。その後、それは滝のように大量に流れてきた。
「ルジベルざばの、バガァァァァ!!」
 鼻声で叫んだ言葉は、虚空を薙いで溶けていった。それは、風のような、空気のような存在である。何時しか彼女は、人間には聞き取る事の出来ない言葉を並べていた。無意識のうちに。
 ――魔法……
 人間はその言葉で片付けてしまうが、本来は天魔法と言う。魔界、天界の住人達が、操る事の出来る不思議な力で、その他の種族は基本的に絶対扱えない。ただし契結すれば、話しは別だが。
 この力がどういう力なのかと言うと、あまりはっきりとしていない。が、一人につき一つしか持てないと言う事だけは、周知であった。そして、その力が人類に影響を及ぼしていると言う事も……
 リリスは短くそれを言い終えると、未だに止まらぬ涙を拭い、右の腕を天に掲げ、たなごころを思い切り開いた。顔は天を仰ぎ、一言だけ、彼女は叫んだ。
「バカヤロー!!」

* * * * * * * * * *


 ルシフェルは一人、ダークドラゴンの背に乗り、佇んでいた。そこは松ヶ谷から離れた、堀之内の上空である。
「さて……リリスには向こうを任せて、わたしはあれを探しましょうか」
 松ヶ谷の方を向き、独り言を吐く。言ってから彼は、自らの羽根を一枚抜き、懐から羊皮紙を取り出す。そして抜いた羽根の先端を、紙の上でスラッと撫でるようになぞると、そこが黒インクで書いたみたいに文字が浮き上がった。人には理解出来かねる文字列である。彼は書き終えると羽根を放り、紙をいきなり破り捨てた。その光景はまるで、出来損ないの陶磁器を、地面に叩きつける窯元の姿である。ルシフェルはその破れた紙の落ちていく様を見つめ、目で追っていった。
「バカヤロー!!」
 この時、件の叫びが耳に届き、ルシフェルは口端を僅かにはね上げた。グッドタイミング。彼は胸中で呟くと、自分が破った紙達が、ある一つの場所にまとまったのを確認した。

* * * * * * * * * *


 何かがおかしかった。別に何も変わった様には見えないが、彼女の頭の中ではレッドシグナルが点灯していた。
「――チーフ、違います……何かが、違います」
 瀬奈は口を開き、中野の方へ声をかけた。中野は首をひねり、クエスチョンマークを浮かばせた。
「それは、先程言っていた"何か"なんですか?」
「多分……」自信なさげに答える。彼女はふと、メインモニタに顔を向けると、気付いた。時間が動いていない!? モニタの端に映し出されているディジタルの時計が、十五時三十二分十七秒で止まっているではないか!! 戦いが繰り広げられている戦場は、正常に動いているのに、何故? 答えはすぐに出た。
「チーフ、これは天魔法です」
 記憶の奥にある何かが言葉を紡ぎ出す。
「!? なんだって? 何でそんなのが……いや、それよりどうしてそんな事を知っているんですか、喜多見さん」瀬奈を見ながら問いかける。 「――父と母が、天魔法の研究をしていたんです。それで何となく、思い出したんですけど……」
「と言う事は、この近くに天界、あるいは魔界の住人がいるという事ですか」
「おそらく、八割がたはそうだと」
 それを聞いて、中野は珍しく舌打ちをした。

* * * * * * * * * *


 気付いた時には遅かった。自分の感情任せでまた、自分の力を使ってしまったのだ。
「あやや? もしかしてぇ、使っちゃったかなぁ? "悪夢<ナイトメア>"を」
 自覚しろ!! 上空にいたピピンは聞いて、そんな事を口にはしないにしろ、胸中で叫んだ。そして……
 一帯の時間軸が、歪み出す。


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